誕生日に祝福されるという文化に、明確に疑念を抱いた話

別に誕生日にこだわりはなかったけど。こんな思いをする誕生日も今までなかったので。愚痴。

今日、一応誕生日。
最近ASDが発覚して、就労支援での無理解もあり、日々のストレスとやる事が多くて、最近は生きるので精一杯だ。
確かに服を自室に片付けずに山積みにしていた私が悪いんだけど。
この日くらい怒られずに、心穏やかに過ごしたかった。

母は姉伝手に聞いて、罪悪感を持ったらしい。今更メッセージで形式的に祝われても別に嬉しくも何ともない。どうでもいい。むしろ誕生日って何?って思う。数十年前の同じ暦に生まれた日、ただそれだけ。

私はASDだし、実際家族に迷惑をかけ続けている。誕生日に祝福されるというのも違和感がある。そもそも私の存在が間違っているのではないかと思う。脳にバグを抱えた、面倒でどうしようもない人間。長きに渡って呪いと厭世観を抱え続けたその心は、人間ではなく化け物かもしれない。

涙が出るのは何かしらに執着しているからなんだろうけど、それを全て捨てられたらどんなにか楽だろうと思う。死ぬのは苦しいだろうから、そういう方法がない限り死ぬつもりはないけど。今日寝て、そのまま永遠に目が覚める事がなくても別にいいと思った。誕生日に死んだらシニカルで面白いな、フィクションみたい。と、薬を追加で飲みながら他人事のように考えた。

終わり。