明日もアルバイトです。

どうも僕はコミュニケーション能力に問題があるのにレジ打ちはできるらしい。

僕はレジの一部な気がしてならない。レジはパーツ少な目で作られたものとそうでないものがある。セルフレジがそういうもので、未完成の方は人間が歯車として必要。

モンゴルの力士のような風貌の男しか記憶に残っていない、僕がドラッグストアのアルバイトをした理由としてレジを通すのを待っている可愛らしい子どもを凝視するためなのだが、まず子どもが少ない。老人ばかりで嫌になる。

ただ僕は涙を流しそうになる。それが小学生でも中学生だったとしても、さらに手の届かないものと思い知らされる。ただ僕は向こうからすればレジの一部でしかない。人間のカテゴリの中にいないのだから恋する対象にならないはずだ。

僕は追いかけるのではなくて追いかけられたい。その末に不幸になっても歩いている今が幸せならそれがいい。今は少しも幸せではないが、初夏の暑さに今日も身を焼かれた。

考えることは一つ、プールの監視員になろう。見放題、サブスクでもこんなにいいものは見られないぞ。成長期のあの最後の輝きを抱えた、市民プール。僕はそこでお金をもらいながら欲を満たしたい。ほとんどの男がそうだろう。

前提として若いほうが良いのは当たり前で、ババアか幼女か、性行為をしなければ死ぬとすれば勿論後者だろう。僕は、僕らは、お前は、その選択肢が広いだけだ。だから安心していい。

最後に、「痛くないかっこよさなど存在しない。痛みからしみ出した分泌液がかっこよさなのだ。」


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