見出し画像

精神疾患と学歴について思うこと

こんにちは。デルタと申します。

私は精神疾患と発達障害を持っているものです。

表題について、私が今思っていることや考えていることを徒然になるままに記してみようかと思います。
(※まとまりは全くありません)

私は大学院理工系の修士課程を修了しています。
大学4年間、修士課程2年間、そして、社会に出て約10年です。その中で様々な人に出会い、様々な葛藤を抱きながら生活を送ってきました。

中学や高校時代は精神疾患についてほとんどわかりませんでした。むしろ、精神科という科について、その当時はあまり良いイメージがなかったかも知れません。そもそも、私が精神科を初めて受診した時代は、精神医療自体が少しずつ過渡期にさしかかり長期入院患者を外の社会に出そうという動きが出てきた時代です。

その後、大学時代に私は似たような苦しみを抱いている方々との出会いもありました。

受験に失敗し、浪人を重ね精神を病んだ人、そして、一度は大学に入ったが金銭的理由で大学を中退し社会人を経て再受験をし、入り直した人。中には、現役で入学したものの、留年を重ね除籍になった人等、様々な人がいました。

院生時代には、研究のストレスからうつ病等の精神疾患を発症し、昼夜逆転で研究をしている人もいました。私は修士学生の頃、あまりにも朝起きれず、仲間や先輩に助けてもらい何とか研究を続け、論文を書き上げた気がします。

私は冬の受験期に思うことがあります。それは、中学生や高校生の頃に今後の進路として漠然と偏差値の高い大学に行くことが良いことなのかと。
人それぞれなのかと思いますが、私は昭和や平成初期の頃の学歴偏重のような詰め込み教育は一発逆転はあるかも知れないが、入学自体がゴールとなりその後の人生において、会社員等で働いていく際に本当に良いものなのか?と思う時もあります。
社会の歯車になり、お金を稼ぎ、普通に結婚し子供をもうけ…そのような、かつての時代の幸せは終焉を迎えているのかも知れません。

社会に出て、機電系の技術者として働いていた時代が私にはあります。その時も過重労働や人間関係で精神を病み苦しんでいる方が沢山いました。私もその1人です。

私は抗うつ状態が良くなったり悪くなったりを長年繰り返し、慢性的な疾患になっていました。

社会に出た、平成の後期から令和にかけて徐々に精神科の敷居が少しずつ低くなった気もします。精神科デイケアも20年ほど前に比べると明らかに「普通に見える人」が通っていますし、就労移行支援やリワークについても同様です。

要は、ある種の精神疾患に対する考え方が時代が流れるにつれて変わってきたのかと思います。それも2018年に発覚した障害者雇用水増し問題やコロナ禍の2020年頃から精神障害そのものに対する社会の捉え方が変わってきたのだと考えられます。

私は思うんです。

精神障害を持っている人は特に努力を積み重ねてきた人が多いと。
私の周りにも、旧帝大を始めとした国立大や難関私立大出身の人や、高校の時に発症した人は特にその都道府県のトップ校や凖トップ校出身の人が多かったです。スポーツに文化活動に勉学に努力してきた人が多いと感じました。

2月に入り、受験期本番です。将来なりたい自分は、おそらく高校生にはわからないと思います。ただ、今思うことは「努力して来たことに自信を持つこと」だと思います。

私は、高校1年生の頃に抱いた大学には入れませんでした。しかし、高校3年生の冬、精神疾患を持ちながらも、ひたすら努力を重ねた経験は後に進学してからや社会に出てからの自信に繋がっています。

受験だけではありませんが、「努力したことについて自信を持つこと」が社会で生きていく上で大切な要素となることもあります。スポーツや文化活動、遊びでもなんでも良いかと思います。

本日は徒然なるままに文章を記してみました。今ある時間を大切に…そして、明るい未来を信じて生きていこうと思います。

デルタ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?