強迫性障害が 完治に近づくと

強迫性障害が 完治に近づくと、こんな風にnoteに文章をどんどん 投稿できるのも、「できる様になったことリスト」の一つとなります。

症状がピークの時は 文章を何度も見直し、 接続詞はこれだ 、語尾は「である」だと、なんだかんだと変なこだわりがあり 、時間 ばかりかかっていました。

症状には映画を何度も何度も巻き戻して役者の言葉を一つ一つ 拾わないと気持ち悪いとか、本を何度も何度も前の ページに戻って確認するので 全然 進まないとか、 1日1本の映画を巻き戻して始めから再生したりで、なかなか見終わらない所があって、 ただただ疲弊してた記憶があります。

完治に近づいた 今では この様にnoteにどんどん文章を投稿できたり 、1日に映画を数本見れたり、本も数冊読めたりと それぞれこなせる数が増えます。

だけどここでぶつかるのは、noteを読んでスキしてくれないとか、いい映画を見終わった後に 、次何したらいいだろう等と、 究極の満足感はなかなか得ることかできないという壁です。

だから結局 想像力が大事なんじゃないでしょうか ?ちょっと前よりは良くなったとか、 あんなに苦しい時代があったけど、今はだいぶ良いとか。

想像力につきるのでしょう。

だけど私ちょっと落ち着いてみましょう。 noteに投稿するのは今日 は飽きてるのに何か義務的に投稿してますね。

こういうところも 強迫的な行動の名残 として 残っています。

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