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正源宗之の雑歌詩集より『叫び』

(今日は父正源宗之の命日です。)


座敷の方が何だか騒々しい 早朝だというのに
ヒソヒソ話を打ち消すかのように掃除機の音が聞こえる
何だろう
しばらくすると表に車の止まる気配がした
そして何かを運び入れた
そうか座敷の調度品でも買ったのかもしれない
そのために掃除をしていたのだろう
それなら合点もいく
組み立てが始まったらしい?
何だあれは?
祭壇じゃないか 棺も運び込まれている
いったい誰が死んだんだ 随分と変だ

しばらくして五、六人の人が私を抱きかかえて棺に運び込もうとしている
おい何をするんだ
やめてくれ私を死人にするのか殺人だぞ
私は叫び声を上げた 
だが全く無視された
聞こえないのか殺人行為だぞ
声にならない声を出しつつも私は棺に入れられた
蓋をしめられた 

そうか私は二、三日前病院に担ぎ込まれたが
私の眠っている間に死亡診断書が書かれたに違いない
だとすれば殺人者は医者だ
死体遺棄も行われるに違いない 
絶対絶命
先程からの読経の声もやんだ
再び棺の蓋が開かれ私の身体は菊の花で埋もれた
ユリの花もあった カスミ草もあった
花の香りにつつまれて私は赤い炎の向こうの世界に行くのだ

もう現世に未練はない
やれ健康保険だ それ介護保険料だと金を取る事ばかり考えている現世
私は介護なんか ろくたま受けた覚えなんかないのに
向こうの世界に行けば
まさか健康保険料も取るまい介護保険もなかろう
地獄へ行くか極楽へ行くかはしらないが
一応閻魔様に袖の下を使ってみよう
六文銭をはたいて
もしかして極楽へ行けるかも
あの世で殺人並びに死体遺棄罪で告発します

では皆さんさようなら 

      正源宗之『叫び』 
        


(正源の娘のひとり言)
 葬儀を終えた日にこの詩を発見しました。父が詩を書き溜めていたことなど露知りませんでした。ワープロで書かれた文字のそれらは、分厚いクリアファイルに雑歌詩集として綴られていて、そこに居たのは私の知らない父でした。
 読み進める中でこの詩を目にしたときの震えを覚えています。その2,3日に経験した風景そのものでしたから。
父の目には何が見えていたのでしょう。

 最近「死の体験旅行」というワークショップがあるそうです。ゲームの名前のほうが浮かんでしまいますが、「メメント・モリ」の言葉が僧侶界でも使われているとありました。「いつか必ず死ぬということを忘れるな」と訳されています。
 父の詩の視点からみてもその死生観は自らが確立したものだと思います。父を知らなさすぎた娘です。ただ一度だけ昔聞いた話があります。
「いつだったか歯の治療中にな、麻酔を受けた後気が遠のいたことがあって、それは美しい花園を見たんだよ。」

 父に雑歌詩を多くの人に見てもらうからねと約束してから4年が経ってしまいました。人が見ることを父が望んでいたかはわかりません。私の一方的な約束です。
それでもこの場所で雑歌詩を通して父正源との対話を続けていこうと思います。正源の雑歌詩が尽きるその日まで。

 正源の詩にはブラックなもの、風刺的なものも多いです。

 この詩も年金暮らしの身で公的保険のありように納得していなかったのでしょう。元気なうちはその必要性に疑問を持つものです。現在の年金問題もしかりです。いろいろ課題のある制度ですが、万が一若年にして障害を負ってしまったとしたら大きな支えとなることを、考えることなどしないだろうから。
 ちょっと正源に似てきたようで、苦笑いです。

 晩年は入院が続きました。正源が描いた最期とは違いましたが、無理を押して一時帰宅したその日、色付いた裏山をずっと見つめていました。
「もう少し このままで」
 長く体を起こしていることなど病院ではとてもできなかったのに。人に宿る不思議な力ってほんとうにあるのだと思いました。

 紅葉、雪山、山桜、新緑、過ごした日々の四季を追っていたのかなと、その姿を今も思い出したりするのです。

(もう一つのひとり言)

今日はもう一つ、羽生結弦『notte stellata』 写真集発売の日です。

「羽生結弦」を通して「生」と「死」を深く想った日でした。
3月11日の泣き疲れた顔と切れた唇
3月12日の自分を奮い立たせてのはっちゃけた姿
今日の日を精一杯生きてほしいと、
明日何が起こるかわからない人の運命を
優しい言葉で説いた人です。
スケートのためだけに生きていく信じてほしいと、
私たちの前で再度誓った人です。
今から思えばこれからの自分の選択の覚悟があって
語られたのかもしれません。
後々その想いが踏みにじられることになったこと、
どうしても怒りと辛さは消えません。
でもその思いを心の奥に追いやって、
羽生さんがそうしているのだから、
ファンもポジティブな言葉と行動で応援しようと思っている。
嬉しい記事も増えてきたのではないか。
沈黙していたでしょうという思いはあっても
本来心あるメディアの中の人ももどかしかっただろうと思うのです。
まだまだ出版物は続くし、
羽生さんの29歳のお誕生日も間近、イベントもある。

素敵な12月になりますように。





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