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動機は分からない

良いことをしても、その動機までは分からないと思う。

純粋に、相手を喜ばせたい、相手のために何かしてあげたいという場合ももちろんあると思うし、

本当は気が進まないけれど、嫌われるのが怖い、
非難されたくない、という動機があるかもしれない。

賞賛されたいからかもしれないし、
下心からの行動かもしれない。

良いとか悪いとかは、見る角度や価値観によるけれど、一見「良いこと」をしているように見えても、その動機まで純粋なものかどうかは分からないよな、と思う。

私自身も、嫌われたくないから、良い人だと思われたいから行動してしまうことが多くて、でもそれは本当の優しさとは違うな、という自覚がある。

本当に自分が追い込まれた時、一瞬ではなく、長期に渡ってキャパ以上のものを背負わなければならないかもしれないというプレッシャーに晒された時、

私は、良い人を貫くことはできない。

キャパの狭い小さな人間だ。
その自覚がある。

自分の身を守るために、調整してくれた人がいたり、協力してくれる人がいたり、時には、思わず傷つけてしまったり。

精神にも肉体にも限界がある以上、誰かには助けられ、協力してもらい、傷つけ、傷つけられ、そうやって生きている。

だから、いつもどこかに罪悪感のようなものがある。

良い人でいなければならないという決まりはないし、そんなの不可能だけど、

赤ちゃんのようなまっさらな、軽々しい気持ちで生きてゆくことは出来ないのだな、それをしようとしたら嘘だな、と思う自分がいる。

表面上に見える言動がどうであれ、動機までは分からない。

そう思う。


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