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1人で行動するメリット

映画を観に行ったり、どこか行きたい場所へ行ったりする時に、もちろん誰かと一緒に行くのも楽しいし、思い出になる。

私も、仲の良い友達や、家族とお出かけするのは大好きだ。

ただ、誰かと一緒に行動するということは、
多少なりとも、お互いが相手に合わせ、相手を気遣う必要がある。

もちろんそれが人間関係の醍醐味だし、
そういう思いやりで、心が温かくなったり、
成長したりする大切なことだ。

それはそれで良いとして、今回は1人で行動するメリットについて記事にしてみたいと思う。

例えば映画なら、1人だとちょっとマニアックなものでも気兼ねなく観れる。

また、途中で感動が押し寄せてきても、
気にせず泣ける。

見終わった後、「泣いてたね」等と言われると恥ずかしいし、逆に相手がどうしてそんなところで泣くんだろうという箇所で泣いていると、なんて言葉をかけて良いか戸惑う。

また、違う人間が観ているので、
観終わった時の感想は各々違うのが普通だ。

だから、相手が評論家のようにその映画を分析し始めたりすると、興ざめしたりする。

でも、まあ、そういう自分とは別視点からの感想を聞くことで新しい発見があったり、気付きもあるので悪いことばかりではないけれど。

映画って、1人で観たい派の人と、誰かと観て語り合いたい派に別れるんじゃないかな、と思う。

私はどっちでも良いんだけど、でも、やっぱり1人で観た方が、映画の世界に入り込むことは出来る気がする。

余計な気を遣うことなく、全てのエネルギーを映画に全力投球できる。

どっぷりと世界に入り込み、考察し、影響を受けた映画の主題に関連するお店へ行ってみたり。

(例えば、インド映画なら、見終わってインド料理屋へ行ってみたり、リンゴが主題なら、リンゴを買って帰ったり、本屋で原作や、主題になったものをテーマにしている本を買ってみたり)

そうやって、見終わった後もどっぷりと世界に浸ったまま映画のことだけ考えて何時間も過ごせるのは1人で観た時の特権だ。

誰かと観ると、映画の感想が気がついたら会社の愚痴になっていたり、次どこへ行こうか等と気持ちを切り替えなければならない。

1人なら、何時間でもカフェでボーッとできる。

同じように、行きたい場所へ行くときも1人だと
自由がきく。

例えば先日の江ノ島も、自分の行きたい順番で自由に行くことができたし、立ち止まってじっくり見たい場所、長く留まっていたい場所には何十分でも滞在することが出来た。

気になった場所には、全部入って見学したし、
食べたいものも、食べた時に食べることが出来た。

写真も撮りたい時にとれるし、
同じところをぐるぐるしても嫌がる人はいない。
(逆に相手の写真撮影をいつまでも待ったり、
お互いの写真を無理やり撮ったりする必要もない。)

様々なものを観察し、様々な人を観察し、
誰に遠慮することもなく自由に歩き回った。

たまに1人でご飯したり、1人で出掛けたりすることを、寂しくない?って聞いてくる人がいるのだけれど、私は全く寂しくない。

行きたい!と思うのは大体突然だし、そうすると誰かと予定を調整するの難しかったりする。

お互いの予定を調整しているうちに、行きたいと思った気持ちも薄れてしまったり。

だから私は行きたいと思ったら、身軽に1人で行くことにしている。

慣れてしまえば、1人ほど快適で、自由で満足度の高いことはない。

人間は皆、別の存在なのだから、行きたい場所や、見たいものや欲しているものが、違うのは当たり前だし、それをわざわざ「お一人様」等と言ったり、
「1人に慣れてしまったら終わりだ」等と言うのには些か疑問を感じる。

もともと人間は1人じゃないか。
もちろん協力すべき時は協力するけれど、
それは仕事や学校で充分では?

もちろん皆でワイワイするのが好きな人は全然良いと思うけど、私は「仲間属性」が低い人間なので、1人行動が大好きだ。

1人なら、その場所で見たいところの見落としもないし、行きそびれもないし、逆に行きたくない場所へ無理やりいく必要もない。

1人で自由に行動できるようになったことが、
大人になって1番嬉しかったことかもしれない。


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