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強制されるのが嫌いな子供だった。

私は、小さい頃、ノートのマス目の中に文字を書くのが嫌いだった。よくはみ出して書いていた。
あの窮屈なマス目の中に文字を納めなきゃいけないのがストレスだった。

だから、今でも方眼用紙型のノートは嫌い。
不器用だからかもしれない。
あのマス目の中に器用に文字を納められない。

書く文字はいつも右肩上がりだし、
定規を使っても真っ直ぐ線が引けないタイプ。
(noteは文字を打つだけで真っ直ぐ書けるから便利!)

それから、問題文に「~しなさい」って書いてあるのも大嫌いだった。
いつも鉛筆で「しなさい」の部分を消して、
「しましょう」と書き換えていた。

なんでしなさいって命令するんだろう、この問題を作った人は私のこと何にも知らないくせに、とか生意気に思っていた。

私は強制されることも、矯正されることも大嫌いな子供だった。

どこかへ出掛ければ必ず迷子になった。
小さなイオンのようなスーパーの中でさえ迷子になって、(当時はニチイだった)一緒に遊んでいた友達に呼び出されたこともある。

遠足に行けば、すぐに周りの物に気をとられて、
しゃがみこんで観察したり、遅れをとったりした。

家族で旅行へ行けば、フラフラと迷子になり、
母にこっぴどく怒られ、楽しいはずの旅行も、
怒られた記憶が強烈に残っている。

決められた道を、周りに合わせて歩くのが苦手だった。好奇心や興味を抑えられなかった。

でも、そんな風来坊でいられたのも、小学校低学年までで、3年生くらいになると、周りの皆がキチンとしだして、クラスにもなんとなくヒエラルキーが出来てきて、あんまり自分らしく自由に生きられなくなった。

周りの空気を蹴散らせるほど勇気のない私は、
なるべく目立たないように空気になることを心掛けた。

皆に合わせて集団生活するためには、注意を払わなければならず、油断すると、本来の性格である自由人の風来坊がすぐ現れるので、自分を殺して過ごした。

だから、私は、学校というところがあんまり好きじゃない。

大人になってから、興味のあることや、好きなことは学んでみたいなと思うけれど、規律があって、やらなければならないことが沢山あって、いつも誰かに見張られている学校は嫌いだ。

よく頑張ったなあと思う。
何年間も。

ふと、そんなことを思い出したので、
記事にしてみた。

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