見出し画像

児童養護施設出身者(高卒)が「普通の家庭」を手に入れるまで

はじめまして!
りゅうさんです!

僕は児童養護施設出身で、現在は福祉系の上場企業で働いています。

2021年のコエールイルミネーターとして7月に登壇させていただきます!
 コエールとは

この記事では
自己紹介を兼ねて僕自身の経験を少しでも似たような境遇の方、またはその支援をされる方に届けられればと思いnoteを始めてみました。

今回お話したいのは、僕の自己紹介も兼ねつつこんな話をしたいと思ってます。
ざっくりいうと

■児童養護施設出身の高卒男子が結婚、マイホーム、上場企業に転職
いわゆる「普通の家庭」というステータスを手に入れるまでの話

です。
普通の家庭の定義的な話しは色々なご意見があると思いますが、それはまた別の機会で皆さんと意見交換出来る場があればいいなと思います。

ざっくりこんな話書いてます!

幼少~小学生 両親逮捕、三軒長屋のボロ屋住まい
中学生  ホームレス中学生、鑑別所、児童養護施設
高校生  父親の出所
社会人  肉体労働、転職、結婚、出産、マイホーム
3度目の転職 人生の転機
    今の思いとこれから


■生い立ち

〜小学生くらいまで〜

1991年、神奈川生まれの児童養護施設出身系男子です。年子の兄と弟がいた男3人兄弟の次男として生まれました

幼い頃から親元、祖母宅、児童養護施設などを出たり入ったりを繰り返していました

両親は覚せい剤使用の常習犯で、薬物欲しさに他の危ない犯罪にも手を出していたようです

幼い頃からそれが当たり前の日常でした
家庭環境や親に対する不満はあまりせんでした

むしろ何しているか分からないけど、たまにおもちゃやゲームを沢山買ってきてくれる父の事は好きだったし、母にうるさい事言われる事も無くてラッキーくらいに思っていたのを覚えています(笑)

〜中学生くらい〜ホームレス中学生

当時、祖母と兄弟3人と暮らしていたのですが
祖母も70代で男3人兄弟を面倒見るのは難しいだろうという事で一時保護所に兄弟バラバラに送られる事になりました。

当時中学2年生男子特有のアレをこじらせていたので反発精神から一時保護所を抜け出してしまいました(笑)
約1年近く友人宅や危ない人のお世話になりながら転々とした生活を送った。
(この辺の話しはちょっとした映画かできるレベルの濃いお話なのでまたどこかでゆっくり話したい)

〜高校生くらい〜
反発放浪生活も最後は警察のお世話になり、鑑別所に送られ、反省し兄弟と同じ児童養護施設に行くことになったのが中3受検前のこと。
なんとか公立底辺高校に合格し高校進学。
バンドやら恋愛やら高校生活を桜花したと思います。

しかし、高校2年生の頃、出所した父親に引き取られボロ借家での家族生活が唐突に始まりました。
正直、施設を出るのは不安でした。

父親は嫌いではないが、本当に生活していけるのか?

中学時代、児童相談所を飛び出し放浪生活を送っていた僕は 衣 食 住 を担保した生活の難しさを身をもって知っていたからです。

施設を出てからはバイト代から毎月家に2万円入れるルールがありました。
父親なりの教育でした。

ただこの経験は、
月々の支払いを高校生で経験出来たことや、生活費を稼ぐという生きていく自信に繋がりました。

■社会人

高校を卒業して僕は水道工事をしている会社に就職した。
バリバリの肉体労働です。

仕事は大変だったが、どうやら僕はそこそこコミュニケーション能力が高かった事と、職業柄職人気質な方が多く事務的なことや管理業務、監督やお客さんとのコミュニケーション等の面倒事をすすんで引き受けてくれる新人は気に入られました。

僕はとにかく出世意欲が強かったです。
そして周りの人に気に入られたいという気持ちが強かったです。

学校生活に加えて施設内での集団生活や逃亡生活中の人に頼らなければ生きていけない環境の中でそういった人間関係の立ち回りや避けかたが上手くなったんだと思います。

~転職~
僕は同じ業種の中で18~22歳の中で2回転職しました。
2回目の転職ではリフォーム等の営業の仕事で22歳にして30~50代の部下も出来ました。

ここで大事なのは「若くして出世したぜ!ぐへへ!」って事ではなく、どんな形であれ、どんな職業であれヒトをマネジメントした経験は次のキャリアアップに役に立つということです。あとは営業という職種もかなりつぶしがきくと思ってます。

■結婚~出産~マイホーム

このリフォーム営業時代当時に
22歳で結婚、23歳出産、24歳マイホーム購入をしました。
僕が思い描いていた普通の生活とやらの形を手に入れました。言わば人生の目標が1つ達成されたのです。

児童養護施設出身者でも普通の生活が手に入れられるんだと自分の中で自信につながりました。


■3度目の転職

そしてマイホームを購入後3ヶ月後にまさかの転職をしました。
それもわざわざ家から1時間以上かかる職場に。

この時の思いは後々語りたいのですが、ざっくり言うと非常にありきたりな話ですが、スマホの登場が大きいですね。
スマホが、ネットが僕の世界を大きく広げてくれました。

転職したのは"障害のない社会をつくる"と豪語する【LITALICO】という会社。
当時はまだ上場もしていないけれど、福祉・教育の領域で着実に成長していた会社です。
こんな会社があったのかとすごく感動した会社に高卒の僕が採用されるはずないと思ったけど、ダメ元で面接を受けに行って、僕の半生などを洗いざらい話しました。

最初に入った会社では経営陣に難色を示されたが、LITALICOでの反応は

「へー!おもしろい!もうちょっと話聞いてもいいですか?」

本当に多様な人、価値観がある会社なんだなと思いました。
無事に採用され、妻には土下座する勢いで頼んで転職することになりました。

■~今~

今、僕はLITALICOを通じて教育の当たり前を変えようとしています。
そしていつかは児童養護施設出身者や社会的養護の立場にある人達が当たり前に情報や教育を手に入れて自分自身で選択肢を増やしていける社会をつくりたいと思っています。

個人活動として今の自分に出来ることはないかと模索中ですので、同じ思いを持った方や、今困っている方とたくさん話していければと思っています。

社会的養護、児童養護施設、里親、一人親世帯、貧困などのテーマで語れる方、沢山語りましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?