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隣同士は仲が悪い:一枚岩だと安易に信じない

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、600日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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法律に関する記事は既にたくさん書いていますので、興味のある方は、こちらにテーマ別で整理していますので、興味のあるテーマを選んでご覧ください。

【 今日のトピック:思ったより人はバラバラ 】

僕は歴史については完全にドシロートなんですが、歴史の本は好きで、これまでもいろいろと読んできました。

で、歴史の本を読んでいると、「隣国同士は仲が悪い」という原則が出てきます。

隣国って、国境を接しているので、めちゃくちゃモメます。

この感覚って、国境すべてが海である日本人にはよくわからないかもしれませんが、多くの国にとって、国境は陸の境目です。

国境を決めるのは、山や川など、地形であることも多いですが、山や川で区切っていたとしても、そこに何か区切る明確な理由があるわけではありません。

国と国との間に海があれば、「国が違うよね」という感覚になりやすいんですが、陸続きだと、国を区切る明確な理由はなく、実際に、国境紛争によって国境線が動くのは、これまでの歴史上たくさん起きてきました。

日本だって、つい80年くらい前、ソ連と満州国との国境紛争(ノモンハン事件)が起きたりしています(今放送中の朝ドラは昭和ヒトケタが舞台なんですが、普及し始めたラジオでノモンハン事件が報道されるという描写が出てきます)。

当時の日本は、中国と戦争してて、ソ連とは戦争していなかったはずなのに、ソ連と国境が接していたせいで、ソ連軍と一線交えてしまったんです。

(「中国」という明確な国もなかったんですけどね・・・。当時の中国は、各地を有力ヤクザが支配していて、中央政府が治安を維持できる状態ではありませんでしたから、1つの国家としてまとまっていたとは言えないでしょう。実際に国共内戦もしていたので、国は全く1つにまとまっていませんでした。)

ソ連軍と一線交えてしまった日本陸軍は、ソ連軍に惨敗してしまいました。

負ける戦は最初からしないのが鉄則ではあるんですが、満州国の国境を日本軍が譲れるはずもなく、交戦してしまい、当時、それなりに日本陸軍は強かったはずですが、敗れてしまいました。

ちょっと話がそれましたが、隣同士は国境を接しているせいで仲が悪く、いつ交戦してもおかしくありません。

で、「隣同士は仲が悪い」は、規模を小さくしても当てはまります。最小単位で言えば、お隣さん同士(隣に住む人同士)や、職場でデスクを隣り合わせている人同士、家族同士にまで当てはまります。

もちろん、隣同士で仲良くしている人たちもいらっしゃいますが、僕が言いたいのは、隣同士は常に仲が悪なるリスクを抱えているということです。

農耕革命以降、人類は定住するようになった結果、土地に価値が発生しました。しかし、土地の面積は物理的に限られており、限られた土地を、人口が増え続けるにもかかわらず人々で奪い合うほかなくなりました。

この農耕革命以降、隣同士は仲が悪いという原則が出来上がってきました。

しかし、「隣同士は仲が悪い」というのは、素朴な感覚とは矛盾します。

僕らの「素朴な感覚」は、農耕革命前の狩猟採集時代に培われたものが多いです。

狩猟採集生活では、土地に価値はありませんでした。だから、距離が近ければ近いほど仲が良いと単純に考えればよかったです。

しかし、農耕革命以降の定住生活では、土地に価値が生じてしまい、自分の土地に最も悪影響を与えるリスクを有しているのが隣人ということになってしまいました。

「隣人がリスク」という感覚は、進化の過程で僕ら人類は獲得しておらず、だから、きちんと理性を働かせて「隣人は敵」と言い聞かせる必要があります。

僕らの本能としては、「隣人は友達」なんです。近ければ近いほど仲がいいというのが、僕らの素朴な感覚です。

しかし、定住社会においては、間違いなく、「隣人は敵」です。

で、この「隣人は敵」という理屈は、いろんなところに潜んでいます。

例えば、職場で、違う部署の人と話す場合、知らずしらずのうちに、自分と話している人が、その部署全体の意見と考えていませんか?

その部署の、ある特定の1人と話しているだけなのに、それが部署全体の意見だと、ついつい思ってしまいます。

しかし、「隣人は敵」なので、部署内の人間関係こそ、もっとも対立する可能性があります。

にもかかわらず、ある1人が話したことが、「部署全体の意見」と決めてしまうのは、配慮に欠けると言わざるを得ません。

あくまで、その人がそう考えていることを示すだけで、同じ部署の人が同じように考えるかどうかは全く別問題です。

ここに気をつけなきゃいけません。

そうすると、タイトルのとおり、「一枚岩だと安易に信じない」ということにつながります。

なんか、こう書くと、「人を信じるな」という風に見えますが、僕はそういうふうには思ってほしくなくて、むしろ、「人はみんな違うよね」ということを正面から認めることにつながっていいのかなと思います。

僕らは、素朴に、つまり、「なんとなく」、距離が近い人は同じように考えていると思ってしまいますが、それは非常に雑だと僕は思います。

どれだけ距離が近くても、今は各自が手のひらに常時インターネットに接続したコンピュータを持っていて、全く違う世界を見ています。

そうすると、距離の近さと考えの近さは全く比例しません。

だからこそ、「人はそれぞれ違うよね」と思うことが大切で、その際に、「隣人は敵」という、定住社会の大原則に思い至ると考えやすくていいなと僕は思っています。

・隣人は敵

・だから、距離が近いからって考えも近いとは限らない

・距離が近い人を「一枚岩」と安易に考えない

これをインプットしておくと、勝手な誤解が減って、人間関係がうまくいきやすいと思います。

それではまた明日!・・・↓

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