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「能楽『沖宮』を現代社会で演じる意義について」(二年前期:楽劇理論A)

○楽劇について
 「楽劇」とは、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーが創始したオペラの一形式である。ワーグナーは、音楽が単なる伴奏となっていた19世紀当時のオペラを批判し、音楽・舞踊・詩が三位一体となったギリシャ悲劇を基にした「総合芸術」の復興を唱えた。このような考えに基づいて創作された作品を「Musikdrama(楽劇)」と呼んだ。
 日本においては、坪内逍遥が「楽劇」概念を初めて提唱した。坪内は、西洋のオペラへの対抗として、歌舞伎や能でもない、総合的形態の日本独自の国劇を構想した。坪内の「楽劇」概念の新しさは、まず一つ目にセリフとともに音楽と舞踊を重視する点、二つ目に長唄や雅楽などの多様なジャンルの日本音楽を組み合わせる点にあったと言える。
その後、1984年に横道萬里雄が、坪内と異なる「楽劇」の理論を提唱し、楽劇においてみるべき対象と視点(視覚と聴覚で認知すべき音、言葉、衣装など)の拡大を図った。
 現代における楽劇では二つの視点が重視されている。一つ目はシアター(空間)、二つ目はドラマ(戯曲や文学作品を含むテキスト)への注目である。
 つまり楽劇とは、端的に言えば、舞踊や音楽を含んだ総合芸術としての劇のことである。そして、楽劇および楽劇学において対象化される要素は、時代の要請とともに、今なお拡大し続けていると言えよう。
 
○能楽「沖宮」を現代社会で演じる意義について
 私は、現代社会において演じられる意義がある能楽作品として、石牟礼道子原作の『沖宮』を取り上げたい。
 『沖宮』は、島原の乱で戦死した天草四郎をシテとする物語である。1638年の秋、天草四郎の父兄妹のあやは、四郎と両親を亡くし、下天草の村でひとり生活していた。下天草の村々では、島原の乱から半年が経ち、日照り続きで飢餓に直面しつつあった。そこで、村人たちは、雨の神である竜神への人身御供として、孤児のあやを海に差し出すことにする。あやは、雷鳴轟く日に、村の女性たちが縫った緋の衣を着せられ、緋の舟に乗って沖合に送り出される。そして、沖合遠く、あやの姿が一点の緋色になったとき、雨とともに稲光が走り、舟は忽然と姿を消す。しかし、あやは、迎えに来た四郎の霊とともに、生きとし生けるものの故郷である海底の沖宮へ道行を歩み始めていた。
 原作者の石牟礼道子は、熊本県水俣市出身の作家である。石牟礼は、故郷の水俣市で起こった水俣病事件と闘争への取材を基にした『苦海浄土−わが水俣病』を上梓し、公害被害の告発とともに文学的成果を残し評価された。以後、詩歌や随筆、新作能では『不知火』『沖宮』を発表してきた。
 私は、現代社会において『沖宮』が演じられる意義として、二つの点を挙げたい。まず一つが「人間社会と自然の関係性の修復を試みている」点である。
 この作品の特色のひとつとして、石牟礼と染色家の志村ふくみによる「共演」が挙げられる。石牟礼は、志村との往復書簡によるやり取りの中で構想を膨らませ、『沖宮』の上演では志村が植物染料によって製作した能衣装を採用した。
 石牟礼と志村のやり取りの中で、一番話題に上がっていたのが「能衣装の色」についてである。二人の対談では、あやの衣装に「緋の色」、四郎の衣装に「水縹(みなはだ)色」を基調とする構想が語られている。石牟礼は、緋と水縹の色を、「あの世のあわい」にある「よみがえりの色」と表現し、選んだと述べている。また、対談では、紅花や臭木を用いた色の作り方など染色の細かな過程も共有されている(志村・石牟礼 2018: 43-71, 209-213)。
 これらのことから、『沖宮』では、植物染料による能衣装が重要な特色であると言えるだろう。そして、この作品における染色された能衣装は、自然と人間の世界が交わる地点であり、その関係性から生成される結晶体である。観客は、植物染料による能衣装や、あの世のあわいでの語りを通して、傷の入った自然との関係を回復していく。
 次に「歴史のなかに滅んでいった者を呼び戻す」点である。
 能役者の土屋恵一郎は、『沖宮』が「歴史の後に、その歴史を取り戻し歴史のなかに滅んでいった者を呼び戻す」としている。それは、「島原の乱で多くの者を死なせたことへの悔いも罪」を背負う天草四郎が、乳兄妹のあやに呼びかけられ、「民衆の幻想のうちに立つ救世主へと再度立ち戻る」物語であるという(土屋 2013:744)。また、翻訳家の早川敦子は、緋の衣をまとってあやが舞い始めることで、「使命を自身の意思で受け入れて「他者」を救う主体的な少女の姿」が表現されていると述べている(早川 2019:55)。
 いわば、あやは、天草四郎に呼びかけ自ら舞い語ることで四郎ともども自らを、運命に翻弄される存在から、積極的に現実へ働きかける主体となるための転換を試みているのである。
 以上のことから、『沖宮』は、大きな歴史の物語のなかで生きた人間たちを、「小さな、しかし何ものにも変えがたい独自の尊厳をもった個の物語」(早川, 2019, 55)の中で語り直した作品だと考えられる。そして観客は、能衣装のこだわりや抒情的なナラティブを取り入れた楽劇を通して、震災やコロナ禍といった大きな物語のなかで、傷ついた自然との関係性の修復のきっかけを掴む。そして、自らを主体として立ち上げるためのしなやかな姿勢を知るのである。

参考文献
書籍
志村ふくみ・石牟礼道子, 2018, 『遺言 対談と往復書簡』, 東京:筑摩書房
土屋恵一郎, 2013, 「石牟礼道子の能と内海のモラル」, 『<石牟礼道子全集>第16巻 新作能・狂言・歌謡ほか』, 東京:藤原書店
早川敦子, 2019, 「文化翻訳を超えて−世界文学としての「沖宮」 」, 『新作能「沖宮」DVDブック 魂の火−妣なる國へ』, 東京:求龍堂

DVD
牛島悟郎(監督)/石牟礼道子(原作), 2019, 『新作能「沖宮」』, 東京:求龍堂

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