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暗闇を彷徨っていた、数年前の自分へ




現実なんて見たくない。



ずっと眠っていたい。



目が醒めることなんて、なければいいのに。




目が醒めてしまったら、また苦痛な日々が始まる。




そんな風に、生きることに消極的だった時期がある。



頑張りたいのに頑張れなくて、

頑張りたいことを頑張ることのできる環境や条件が、どれだけ幸せなことかを思い知った。



頑張ることで生き生きするだけでなく、周囲からの評価も上がる。実際に賞賛された経験があるからこそ、わかる。


頑張れないことで堕落するだけでなく、周囲からの評価も下がる。誰よりも本人が苦しいのに。


うまく身体が動かない。頑張ろうとすればするほどにつまづく。空回りする。

転んでできた傷がじわじわ痛くて、もう動けない。足手まとい。



まるで自分なんていない方がいいんじゃないかって。

自分が存在しない方がいい理由の方が、存在した方がいい理由よりも多く思い浮かんで、悲しくなる。

誰からも必要とされていないような、「なんで生きてるの?」そう問いかけられているような。




そんなことを考え出すと、どんどん胸が苦しくなって、息ができなくなって。


消えてしまえたらいいのに。



死ぬことは苦しくて痛くて、勇気がないから、パッと消えることができたらどんなに楽だろうか。


そんなことができたら、大量の人がこの世からいなくなってしまうんだろうな、なんて妄想したり。




消えたら、この苦しみから解放される。

消えたら、もう悩まなくていい。

何も考えなくていい。


悲しい気持ちも苦しい気持ちも感じなくて済む。



いつしか、生きてることの方が気持ち悪くなって。

なんで生きてるんだろうって、とにかく不自然で。


生きている自分に、流れている血に、温度をもった身体に耐えられなくなりそうな。




***




こんなメモが残してあった。

この頃から一年が経ち。
今は消えたいと思うことは稀になった。

たった一年前の自分ということが信じられないくらいに、もうずっと前の感情みたいだ。

けどそう思えるようになったのは、本当に幸せなことだと思う。


心穏やかに日々を過ごせることが、ありがたい。
もちろん、落ち込んだり、不安になったりすることはあるけど。
感情が爆発したり、泣き喚くことはない。

結局私は、自分に優しくできていなかった。


自分なんていない方がいいとか、生きてる価値がないとか、誰にも愛されないとか、自分で自分を苦しめていた。

今だって、周囲からの愛に気づいた!とかそんな感動的なものじゃないし、急に物事が好転した訳じゃない。
むしろ環境はあまり変わり映えがない。


でも、愛されなくても、周囲から評価されなくても、それでもいいやって思えた。


それでも楽しく生きていくことはできる。
それなりの人付き合いで、やりたいことやって。

よくよく考えれば私はどう考えても世間では少数派なタイプ。周囲に合わせることに苦労するのは当たり前だし、苦しいならいっそ、開き直ればいい。

理解してもらおうなんて思わないし、思わないからこそ、変な意地を張らなくていい。

話したいことだけ話して、一緒にいて楽しい人とだけ一緒にいればいい。


そう考えると、人生は案外シンプルだ。

自分を責めたっていいことないのだ。

生まれてきたなら、生まれてきたもん勝ち。

すでに生きる権利も人権もあるから。



今は笑って生きればいい。
笑えなくなったら逃げればいい。


命ある限り、生かされてる限り、
好きなように生きよう。


Life is what you make it right!
(人生は自分で正解にするもの!)



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