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私は「個」であった

 大人になってから知り合った年上の友人が、ある時、呟いた。

 「小学校の同窓会に行く機会が何回か、あったの。
  でも、一度も行けなくてね。
  この前、初めて行けた。」

 私は、特段考えもせずに、
 「何で行けなかったの?」
 と聞いた。
 そして、その答えに驚いた。

 「ちゃんとしてないから、私。
  ちゃんとした人じゃないから、恥ずかしくて行けなかった。」

 私は、咄嗟に言ってしまった。
 「この世はちゃんとしてない人間ばかりよ!」

 その方は、息子さんがお腹にいるときに夫からお腹を蹴られ、逃げてから離婚をしたDVサバイバーだ。
 それも、もう30年近く前の話。
 しかし、昭和一桁で我慢強い気質の人が多く住む地方出身のご両親は、その価値観で友人に接し続けていたのだという。

 「私は、出戻りだって。
 恥ずかしいから外に出るなとすら言われた。
 ちゃんとしていない人間だって。」

 それが、刺さり続けているのだ。
 今でも。



 例えば、外側からは綺麗に見えても、内側は複雑なのが人間だとして。
 だからこそ、味わい深い。
 こんな面も、あんな面もある。 
 それじゃだめ?

 完璧は、特に人生においては追い求めても捕まえられないものなのでは?

 昭和には、世間体という言葉があった。
 今となっては、その一部は他人軸であるように思える。

 「子どもの戸籍を汚したとも言われた。
 それなら、もう頼らないことにしようと、ぼろぼろのアパートに住んで、赤ん坊の洗濯物は外にある洗濯機でするから、いつも踵が切れて痛かった。
 仕事を3つ掛け持ちしながら、資格を取りに行ったの。
 夜に工場でパンにジャムを塗る仕事をしていたときには、
 『そんなことをさせるために、大学まで出したんじゃない。』
と母に言われて。
 それでも、私と息子のことはみにはきてくれたけれどね。」

 よくよく話を聞けば、保育についても金銭的にも、かなりご両親の援助があったようである。
 天涯孤独な人生とは違うのだけれど、
 母親の言葉のいくつかがマイナスの影響を及ぼしている。
 今でも。

 「親の財産も放棄するというサインもした。
 それなのに、介護が必要になると私を呼び出すようになって。
 もう、私を呼ばないで欲しいのよ。本当に。」

 私は、言ってみた。
「行きたくないなら、行かなくてもいいんじゃないですか。
 今日は行けない、と言ったっていいんじゃない。
 疲れているんでしょう?
 その選択は、あちらが主なのではなく、こちらが選択できることなのでは?」

 私にも経験があるからわかる。
 何人兄弟がいようが、親を看る人は一人である場合が多い。
 病院に来ている家族の中では、よく出た話だ。
 しかし、背負いすぎると重荷はさらにやってくる。

 その友人は、驚いた顔をした。
 母親からの呪縛に気が付いたのかどうかはわからない。

 「呼ばないで欲しい、というのは、呼ばれたら行かなきゃいけないと思っているということですよね?」
 と更に私は聞いた。
 我慢を続けたら、関係性が悪くなることもある。
 自分が壊れてしまうことも、ある。
 自己肯定感が上がらないと、親が他界してもずっと背負い続ける。

 軽やかに生きることが、難しくなってしまう。


 その話を、別の年上の方に話した。
 「私も、わかる!」
 と叫んでから、母親から言われて刺さり続けた言葉について語ってくれた。

 「私の場合は、母に言われた言葉で自分を奮い立たせてここまで来たから、悪いことばかりではなかったけれど。」

 聞けば、母親が望んだ大学に入学できなかった時に
「だから、あんな大学にしか入れないのよ。」
 と言われたのだと。
 それを機に、語学学校をはじめ勉強を怠らず、一所懸命頑張ってきた。

 しかし、心の奥に何十年も刺さり続けていたことに直面する出来事があった。
 ある日、子育てをめぐってお母様と喧嘩をしたのだという。
 母が自分にしたことを、孫である自分の子どもにしようとしている。
 それは、やめてほしい。

 「ママがあんなことを言わなければ、私は・・・。」
と話したのだそうだ。
 すると、お母様はケロリとして、
 「私、そんなこと言った覚えはないわよ。」
 と言われた。
 更に、「そういう時代だったのよ。」とも。

 こうなると、本当に言われたのか、言われた気がしたのかすらわからない。
 ただ、ガーン!と受けた止めた感情だけが棘となって、何十年も心に刺さり続けていたことになる。

 「それで、私は目が覚めたのよ。
 でも、妹は違うの。
 同じようなことを母に伝えて、やはり、そんなことを言った覚えはない、と返されたわけなんだけど、その棘は刺さったままだから人生が好転していかない。
 今も、母の言葉を手放せないから、色々な問題を抱え続けてしまうの。」

 仕事で出会った女性の中にも、小さい頃から母の愛を求め続けている人がいる。
 彼女が30歳になろうとする今でも、母親は彼女に振り向いてはくれない。
 自殺未遂を起こしては、迷惑をかける子として認識されてしまうという悪循環の中にいる。
 アルコールにも依存していて、自分にも小さい娘がありながら、
 「おかあさんに抱っこして欲しい。」
といまだに泣いている。
 癒されることのない小さい彼女が、大きな身体の中にいる。
 母への思慕と期待が捨てられないという苦しみ。


 そういえば以前、絵画療法の師から、
「あら。それなら、あなたは両親に捨てられたと思いなさいよ。」
という荒療治を受けたことがある。
 しかし、私にとっては効果抜群で、何かがすとんと落ちた気がした。

 そうだった!
人間はひとりで生まれてきて、ひとりで死ぬのだった。
 捨てられた、というのは逆説であり、

「元々、ひとりで来たわけでしょう?そろそろ、しっかりなさいね。」
ということなんだと理解した。
 腑に落ちた。

 私は「個」であった。
 属している場所に、人に、恵まれていることに感謝しようと思った。

 生きる場所や時代を選んでこの世に来る。
「そういう時代だったのよ。」
 と言われれば、何十年も抱えてしまったものは、早く降ろすに限る。

 移り変わる時代を順々に味わい尽くしたら、今を生きて、過去は過去として、未来だけ見て進む。

 子どもが小学生の頃、この子たちが20歳になる頃には、今の職業のほとんどがなくなるか形を変えているはずだ、と言われたものだ。
 そもそも、18歳が成人になったし、確かにコロナの影響もあって業態が変わったり、人気の職業も私たちの頃とは全然違う。
 ある意味、それに近い状態になっている気がする。

 結婚しません、子供はいりません、実家に住めるからわざわざ出ていきません。

という若者が多くなってきた。
 インターネットで世界中の情報を知ることができて、多くの争いを見る機会も多い。
 自分達と同世代の若者が世界でどんな活躍をしているかを知ると同時に、どんな目に遭わされているかも知ってしまう。
 情報も、取捨選択して必要なものとだけ繋がる大切さを思う。

 私が若かかった時よりも冒険しないし、覇気はないと取られることもあるかも知れないけれど、今の若い人たちは、実はずっと冷めた目をもっている。
 これはこういうもの、と察知する目が鋭い子が多いように思う。
 いつの時代もそうかも知れないけれど、若い世代は、先を生きる人間が見てきたものとは違うものをみている。

 平和ボケしていた私の世代は、繋がれるものには何でも繋がりたがるようなところがあった。
 会社員の異業種交流会なんていうものにも参加した。
 新しい製品は良いものだという刷り込みにも、まんまとはまっていた。

 ないない、に目を向ければ物が増えて心も重くなる。
 今は、「ある」ものに目を向ける「個」でありたい。
 むしろ、なくてもいいものには繋がらない。

 時代、という言葉の重みを感じる。













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