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母のレシピ帳

その昔、母が若い時代には、花嫁修行というものがあったらしい。
お裁縫、茶道、華道、マナー・・・など。

他界してしまってから、母の引き出しを片付けていると、一冊のノートが出てきた。
料理教室のレシピを書き留めたり、昭和感満載の藁半紙にガリ版刷りのプリントがたくさん貼られている。
何も語らずに逝ったけれど、このノートが私の味覚を育ててくれたのかと思った。

ストロベリーのババロア、エッグクロケットにサバのプロバンス風。
ニューナイトトウフという、謎のムード歌謡みたいな名前の料理。
コンソメジュリアン。
ジュリアンて誰?と思ったら、千切りをジュリアンと言うのだと知った。

病人食に色々な出汁。
スープストックの取り方。
ただの大学ノートであるが、私にとっては面白い読み物だ。

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こんなに念入りにノートをとる習慣が私にはない。
真面目な母らしく、万年筆で書いてあるところは、あとでまとめ直したのかも知れない。
わからない単語が何かで出てくると、すぐに辞書で調べる人だった。
英和辞典を箱に入れていて、叱られたことがある。
辞書というものは、すぐに引けるように箱に入れたりしないのだという。
そばに置いて、すぐに引いてはじめて役立つものよ、と。
そんなわけで今も、スマホだけではなく、きちんと辞書を引く習慣は大事だと思っている。

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古い紙の匂いで、小さい時に好きだった「赤トンボ」のローストビーフサンドウィッチの味を思い出した。
祖母がよく、お土産に買ってきてくれたもの。
1950年、銀座がハイカラな街とされていた時代に、
銀座・並木通り沿いにサンドウィッチパーラーとして誕生した「赤トンボ」。
日本橋高島屋、新宿高島屋にもある。

今でも、懐かしい感じがする洋食が好きだ。
そして、母の作ってくれるお弁当が好きだった。
色とりどり。
ラザニアだったり、きれいに盛られたお寿司やロールサンド。
高校時代は隣のクラスから、今日は何?と友達が楽しみに覗きにきてくれるので、みんなの分も持って行った。

母に、「なぜ、きれいにお弁当を作ってくれるの?」と聞いたことがあった。
こうして欲しい、と頼んだことがなかったからだ。
それに、毎日のことだから大変に決まっている。
「おばあちゃんが、私にそうしてくれたから。」
というのが答えだった。

そして、私は?
幼稚園のお弁当は、確かに楽しんだ。
しかし、今はやっつけ仕事になっているような気がする。
朝5時に起きて、野球部の息子用の大きな肉中心の弁当をひとつ。
娘の小さいけれど中身は可愛くして欲しいという、傾向の違うお弁当をひとつ。

眠い。あくびが出る・・・。
しかし、心を込めて作ると反応が違う。
それでも、たまにはサボる事を許してもらっている。
なんとお箸や、冷蔵庫に入れたデザートをつけるのを忘れてしまったりもする。
それも、いい思い出にしてもらえるといいな。

料理というのは、無言で気持ちを伝えられる手段のひとつに違いない。




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