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「(ゼロ)コロナは終わりました!」

今学期から給料20%カットされてたが、その分何とか振り込まれたぜ!

報告書提出めんどくさいと思ったけれど、いつも仕事手伝ってる卒業生に翻訳してもらったし、更にはそれを今日本にいる超絶優秀な同僚の先生(休職中)にチェックまでしてもらったので完璧。

そして何より今学期も学生たちの私の評価が高かったらしい!

まあでも実はそれより何よりゼロコロナ終了のおかげがあるんだろうか。

経済状況ぶっちゃけ何も良くなってなさげだけれども、世間のムード的に
「コロナはもう終わった!」
「明るい未来がやってくる!」
「経済も回復してきた!」
だから、給料まとめて振り込む気になったという、それだけかもしれない。

今学期末の試験は学生ほとんど全員コロナ感染、その家族も全滅といった状態だった。

会話試験というよりは問診状態で
「熱は?何度?」
「家族は?だいじょうぶ?」
「症状はいつから?」
などの質問ばかり。

ビデオチャットで試験しているのでリアルタイムで様子がわかるが、喉を傷めたり咳き込んでいる学生が多かった。
熱は38度から39度。

病院も混乱状態で家にいるしかなく
「家族がいつも寄り添ってくれている」という、中国人大好きな家族の強い絆で見事に一家感染の連鎖。

作文の課題も「これまでの三年間とこれから」にしたのだけれど、ほとんどの学生が「コロナは終わった」の認識。

しかも各地で起こった抗議活動のことも知らないのか、

「ウイルスが弱くなったので、政府は経済回復という政策に切り替えました」

と本気で信じている学生もいる。

そしてあれだけ飛行機に乗るにも宇宙人みたいな防護服着てたくせに、今やマスクさえしないという始末。

そんな状態だからこそ、日本は水際対策で中国人の入国を規制した。
感染者が一気に押し寄せてきたら困るからだ。
陰性かどうかを確認するのは当然だろう。

それなのになぜか中国まで日本人のビザ発給禁止という対抗処置をとってきた。

これに対してある学生は

「日本が中国に友好的じゃないからだ」

という。

おいおいおいおいおいおいおい!

コロナ対策で入国規制するのと、友好的じゃないからを理由にビザ発給停止にするのは全然ちがうんじゃないか?

また、別な学生はこう言う。

「中国は今コロナの感染がひどいから、外国人が来たら危ないです」

だから、中国が親切でビザを発給しないことにしたと? 
いや~それもなんか苦しくない?

もちろんみんながみんなそんなふうに脳内お花畑というわけではない。

この三年間、ゼロコロナは何だったのかと絶望している卒業生もいる。

それはそうだろう。

この三年、授業なんてまともにできなかった。
連日のPCR検査で学生はめっちゃ密な状態で外に並ばさられる。
割り込みとかするのもいるが、基本的にちゃんと並ぶ学生は一時間以上も外で列を作って待たねばならない。炎天下の日も寒くなってきてからもそうだった。
そこまでして受け続けてきた中国製のワクチンの効果はどれほどのものだったというのか。

そうやって膨大な時間を検査や隔離で奪われてきた中国の学生たち(特に中学生)の学力低下はすごいという。
オンライン授業では、多くの先生が大量の宿題を出す。
しかも私とちがって、ただ出すだけでチェックしたり指導したりは特にないらしい。

学生たちは毎日残業に追われるブラック会社の社員みたいな感じで、ストレスで不眠になる学生もかなりいた。

彼らの支えである家族に会いに行くことも自由にできなくなり、大学の寮に閉じ込められる毎日だった。

その三年の果ての今のコロナの大感染である。

しかも彼らはコロナが第一波だけで終わると思っている。
一度かかればもうかからないと思っている。

おそらく第二波は春節にくるだろう。

その時期を前に日本への入国に制限をかけるのは当然だろうと私は思う。

けれどもそうは思わない一部の若者たちはネットで日本に対して批判を繰り返している。

なんというか、中国にとって日本はのび太みたいなものなんだろうな。中国人の入国を警戒しているのは日本だけではないし、アメリカも韓国も規制している。それでも中国人にとってはあくまで「小日本」で「広い、大きい、素晴らしい」の中国から見れば「狭くてちっぽけな島国」だ。

私は中国の学生たちと政治討論する気はない。

日本が友好的じゃないから中国もビザを出さないのだと言った学生には

「政治はどうでも、私はあなたとずっと仲良くできることを願う」

としか言わない。

実際、政治批判をしたところで、生産的なことは何もないのだ。
それならば、草の根でせめて民間人同士は憎しみ合うことはないようにと願う。これからの時代を担う若者たちの固定観念を少しでも壊したい。実際一人でも友達がいれば、その民族すべてが悪みたいにはならないはずだ。

どうか政治事情のプロパガンダを鵜呑みにしないでほしい。

かといって、政治に一切関心を持ちませんという中国男子もどうかと思う。

彼は今日本に住んでいる。

「中国人は世界に嫌われているから、俺は中国語を話したくない。今、アメリカ人のバーで英語を学んでいる。俺は英語を話すぜ」

なんて言ってるけど、だったら日本じゃなくアメリカに行け。

日本の永住権を希望している別の中国男子の

「僕は音楽が自由にできるなら、中国以外ならどこの国でもいい」

の方が理解できる。

アメリカン・バーな中国男子は

「政治なんて政治家がやるもので俺たちには関係ない。それよりも日々の生活を充実させたほうがいい」

と言うが、そうやって無関心でいることで知らずと搾取されることもあるんじゃないのか。
その日々の生活にも物価の変動はダイレクトに関わってくるし、ましてや今回のゼロコロナ強制終了は、各地で起きた抗議活動がきっかけで、それは一人の中国女子の無言の抗議から始まったんじゃないのか?

国会中継や野球やサッカーを見てただヤジを飛ばすオヤジどもには「黙れ」と私も言いたくなる。でも少なくとも自分の家族が住んでいる国の状況、大事な人がいる国が今どうなっているかを気に掛けるのは自然な感情じゃないのか?

私が一番仲良くしていて家族同然の卒業生女子は今年赤ちゃんを産んだ。
私にとっては孫みたいなものだ。

この子が安心して暮らせる中国であること、いつか会いに行ったり来てもらったりできるようになること、戦争なんてない平和な世界であってほしいと思いながらもその国の動向に目を向けながら、自分にできることはなんだろうかと考えることはそんなにバカバカしいことか?

確かに色んな考え方はある。その何が正しくて何が間違っているとは言わない。

ただ私は国と国との関係をそのまま民間人同士の関係に置き換えるのはやめようと言っているだけだ。

以前、日中関係が悪化した時、日本語を学びたいという学生が一気に減り、クラスも減った。それ以来ずっと一クラスで、今の三年生に至っては、30人はいた学生のうち20人は英語科に転向し、10人だけが残った。

そのうちの一人は今日本に留学に来ていて、先日会いにきてくれた。
母国でコロナ感染の状況がひどい中、彼は富士山、東京スカイツリー、大阪のお好み焼き、北海道の雪と日本を満喫している。

「日本にいてよかったね」

と私が言うと

「はい、でも中国はもっといいです」

と彼は答える。

自分の国が好きで一番すばらしいと思うのは悪いことではない。
でも、時々思うのは、「いいものだ」ということが前提で、それがいいかどうかなんて本当のところ考えてないんじゃないかってこと。

実際、留学前にきょーさんとーに入った彼になぜ入るのかを聞くと

「それはいいからです」

と答える。

「何がいいのか?」と聞くと

「わかりません。でもいいと思います」

と答えた。

それがいいとされているからいいと判断するというのは、何もこれに限ったことではなく、極端なブランド志向の人間にもよくある心理とは思う。

世間でいいとされているものをいいと考え、これが正解とされている答えを言うことで褒められると信じて疑わない。

私の作文授業の試験の原稿も、そういうテンプレがあるんだろうっていうぐらい大体みんな言うことが似ていて、それを書けば私が高評価をつけるだろうと信じて疑わない。

正直、気持ちが悪いと思った。

むしろこの三年の間、軍隊に行っていて、挫折を味わい、復学した学生の作文のほうがよかった。

日本語はひどいが、伝わるものがあった。
それは彼が自らの経験を通して感じた思い、自分の頭で考えた言葉だからだ。

優等生であるほど、完璧なテンプレを作るロボット化傾向がある。

ネットで日本を批判している若者たちも、ただただ純粋に「正しい」とされる国が「正しい」とされる報道で言っていることをただただ信じて、批判することが「正しい」と思い込んでいるだけなのだ。

そうやって批判精神の強い学生のうちの一人が、私の愛犬が死んだとき、心から慰めてくれたこと、それによってどれだけ救われたかということを私は忘れていない。しかし、彼女もまた、愛国精神からくる批判スイッチが突如入ってしまうことがある。そのたびに、これは同じ人物か?と思う。

今回、私の授業評価が高かったことは、私と学生たちが時間をかけて築き上げた信頼関係があってこそだ。

でも国と国の状況によってはそれが一瞬で壊れてしまうこともあるのかもしれない。

それでも私は彼らのことを決して嫌いにはなれないし、今も中国や中国人批判を聞くと、どこかで彼らのことを思い出し、悲しくなってしまうのだ。

政治と民間は別に考えたいといっても、そうも簡単に割り切れないという思いでいつも気が塞ぐ。自分のアイデンティティは国や民族に属している面は捨てきれない。

常に矛盾がつきまとう。

先日私に会いに来てくれた学生はネット授業でしか会ったことがなかった。
今、私が教えている三学年はすべて対面授業をしたことがない学生で実際に会ったこともない。
やはり会うと全然ちがうと思った。
他の学生たちにも会ってみたいと思った。
かといって今の中国に行きたいかというとそうは思えない。

結局そこは国や政治の状態が関係してしまう。

そうやって今日も悶々とする。

まあ、とりあえず給料がもらえたのはよかった。

そうやって危ない綱渡りをいつまで続けるのかとも思う。

本当に細い綱の上に風にさらされてバランスをとっているような気がする。

今年も中国との関係の中で悩みながらの新年のスタートである。

春節まであと11日。

彼らは希望に満ち溢れた新年を迎える。

「コロナはもう終わりました!」

咳き込みながら、高熱に苦しみながら、今の苦しみを乗り越えればゴールは目の前だと信じている若者に「いや、これからだろう」とは言えない。この三年間の政策が無意味と思わないのかなんて言えない。無意味どころか学生生活を無駄に奪っただけだろう。

それでも終わりよければすべてよしという得意の「正能量(ポジティブ思考)」でなかったことにしてしまうのか。

そのように考えることが「いいこと」とされているから。

日本人でもポジティブの押し付けみたいな人もいる。
私はそれを「ポジティブの暴力」と呼んでいる。
それを国でやっているならそれはもう悪質な洗脳だ。

だけど常に悲観的でネガティブなことばかり吐いて夢も希望もないことが決していいとも思わない。

「コロナが終わりました」

それは「ゼロコロナ」が終わったということだ。

その反動で何が起こっても、彼らはやはり自分が信じるものを信じて国を愛すのか。

終わりは新たな何かの始まりだ。
希望はどんなときにもある。
それは心のもちようだから……(黙)



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