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くるくる電車旅〈行きすぎて遠い道〉

今日は、節分。近所のお寺では、元横綱が来て、豆をまいてくれるという。現役時代は大好きだった横綱だけど、今日は、そこへは行かない。そのお寺は、電車に乗らなくても、歩いて数分で行けてしまうから。わたしは、電車に乗りたいのだ。

今日行きたいのは、美和歴史民俗資料館。名古屋市西部に隣接したあま市にある。
名鉄津島線木田駅まで、地下鉄、名鉄名古屋本線と二回乗り換えた。乗車していた時間は、合わせて30分にも満たないが、この乗り換えが楽しいのだ。降りたホームに乗り継ぎの電車が止まっていると、やった!と思う。

木田駅の南口から出て、踏み切りを渡り、北へ歩いた。このまま、まっすぐ北へ。
地図で確かめたから、まちがいはない。
片側一車線のあまり広くない道路だった。
歩道がなく、交通量は多い。
側溝のふたを歩道がわりに踏んで歩いた。

うららかな春のような日和だった。
平野の向こうに冠雪した山が見える。
10分ぐらい歩いただろうか。
やがて、「歴史民俗資料館あっち」の標識に出会った。矢印の方向に曲がると、田んぼと住宅に囲まれて、それらしい建物が見えた。
静かな道だ。ひとっこひとり歩いていない。
歴史民俗資料館の入口には、「開館中」の札が下がっていた。

入口のガラスドアは、大きく開かれていた。
しんとしている、だれもいない。
入館料は無料らしい。
入館者記名ノートが置かれてあった。
今日は二月三日、いまは午後一時。
本日の入館者は、まだ一人もいない。
わたしが、第一号らしい。悪い気はしない。
名前を書き、展示室に入った。

一階には、江戸時代から昭和の初めごろまでの農作業に使用された農機具が展示されていた。
筵を織る織機とか、鍬、鋤、鎌、簑・・・・
等身大の人形が置かれていて、縄をなったり、土を耕したりしている。
あまりに人間そっくりなので、ぎょっとする。

二階に上って目についたのは、小川関治郎という人の展示だ。あま市出身の陸軍法務官で、甘粕事件や二二六事件に関わった人だという。
年譜が貼ってあったが、それがどうしたとしか思えなかった。法と良心の間で苦しんだとか、良心に殉じて職を擲ったとかいうエピソードがあるわけでもない。裁判官の何が偉い?なんて心の中で毒づきながら見ていると、一冊の冊子が目に止まった。
表題は、『陸軍法務官 小川関治郎』B4版106ページ、歴史民俗資料館編集発行、筆者は小川関治郎の三女だという。
パラパラとめくると、『父と甘粕事件』という見出しが目に入った。がぜん、この冊子が欲しくなった。大杉栄や伊藤野枝や橘少年が虐殺された、あの甘粕事件の思いもよらなかった一面を、知ることができるかもしれないと思った。

一階に下り、「受付」の窓をたたいた。
出てきたのは、メガネに黒シャツの三十歳ぐらいの男の人。小川関治郎さんの冊子が欲しいと告げると、「一冊でいいですか」ときかれた。何かの研究会のテキストにでもすると思われたのかもしれない。
「はい。一冊で」と答え、千円払った。
今度は、「領収書はいりますか」ときかれた。
「いいえ」と答えると、あま市役所の大きな封筒に入れて、冊子をわたしてくれた。

外に出て、ひとっこひとりいない道を歩き、右に曲がって、駅に向かって歩いた。
まっすぐ南へ歩けばいい。
踏み切りまで来たら、渡らずに左に折れれば駅がある、はずだった。

わたしは、買った冊子を胸に抱き、関東大震災のこと、大杉栄や伊藤野枝のことを考えながら、ぶらぶら歩いた。
ぶらぶら、ぶらぶら・・・・・

歩いているうちに、おかしいぞ、と思った。
帰りの道は、往きよりも短く感じるはずなのに、まだ駅に着かない。
時計を見ると、もう二十分近くも歩いている。
道幅もずいぶん広くなっている。 
こんな道、歩いたっけ?
わたしは、不安になって、スマホを取り出し、グーグルマップを見た。
あら? 駅が遠くなっている。
しかも、後方に。
考え事をしながら、ぶらぶら歩いているうちに、知らずに踏み切りを渡って、ずっと先まで来てしまっていたのだ。

そこから駅まで戻る道の、なんと遠かったことか。


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