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43年後の『ジャコビニ彗星の日』

2015年10月9日ー

あんなに暑苦しく、セミたちが喧しい夏も終わり、季節はすっかり秋。銀杏並木が黄色く色づき、夜の冷たさはどこか我々の心をきゅうーっと締め付け切なさを植え付ける。
この切ない空気感、私が一年で最も好きな季節である。こんな秋の空気にはユーミンがぴったりだ。ユーミンの歌は季節モノが多く、四季ごとにユーミンの曲を集めたベストアルバム(『SEASONS COLORS』
)が存在するくらいである。
珍しく早起きをし、窓を開けながらひんやりとした外の空気を存分に味わっていた今朝、私は『SEASONS COLORS - 秋冬選曲集 - autumn -』をシャッフル再生した。

一曲目に流れたのは、『ジャコビニ彗星の日
この曲は、1979年12月に発表されたアルバム『悲しいほど、お天気』に収録されている。
エレピとシンセサイザーが織り成すイントロが、切なく冷たい秋の夜へ引き込んで行く。

そして私は気づいてしまった。歌詞に出てくる「10月9日」が、まさに今日であるということに。なんという偶然だろうか。ユーミンの詞には、時たまこのように具体的な日付が記されていることがあるのだが、まさかたまたま聴いた曲の歌詞が日付とマッチングするとは。なんだかとても良い引き合わせを感じたため、この機会にこの『ジャコビニ彗星の日』を深く掘り下げてみようと思い立った。

(ちなみに、母に「今日はジャコビニ彗星の日だよ」とLINEしたところ、「ママも昨日秋だなと思ってユーミンの秋のアルバム聴いたら、ジャコビニ彗星明日じゃんってなってた。」と返信が来た。どこまでも考えることが似ている親子である。)

夜のFMからニュースを流しながら

部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ

小さなオペラグラスじっとのぞいたけど

月をすべる雲と柿の木揺れてただけ

72年10月9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく

私はひとりぼんやり待った

遠くよこぎる流星群

それはただどうでもいいことだったのに

空に近い場所へでかけていきたかった

いつか手をひかれて川原で見た花火

夢はつかの間だと自分に言いきかせて

シベリアからも見えなかったよと

翌朝弟が新聞ひろげつぶやく

淋しくなればまた来るかしら

光る尾をひく流星群

(作詞:松任谷由実)

『ジャコビニ彗星』とは、別名『10月りゅう座流星群』という、10月8日から10日にかけて見ることの出来る流星群のことであり、その観測当たり年は13年に1度と言われている。
歌詞にある「1972年10月9日」は、実際にこの大流星雨が予測され、日本は大騒ぎだったらしい。しかしその予測は外れ、ジャコビニ彗星の観測は実現せず、当時のマスコミは大荒れだったそうだ。

この歌は、恋人と疎遠になっていることに慣れつつある主人公が、ジャコビニ彗星を見ようと秋の夜に窓の外を見つめている歌である。恐らくこの主人公の年齢は18~20歳、今の私と同年代である。彼女は、恋人と疎遠になっていることに寂しさを抱えていながらも、それもだんだんと『日常』として受け入れ始めているわけである。

この歌の美しいところは、「日常と非日常のコントラスト」にあると言えよう。
『日常』は、「夜のFMからニュースを流しながら 部屋の明かり消して窓辺に椅子を運ぶ」という描写や、「翌朝弟が新聞広げつぶやく」という描写から受け取ることが出来る。(それにしてもユーミンは窓辺に椅子を置くことが好きなんだな。『翳りゆく部屋』でも「窓辺に置いた椅子にもたれ」という歌詞がある。)
そんな彼女の『日常』に降り注ぐ「72年10月9日のジャコビニ彗星」という『非日常』のエッセンス。このエッセンスが、彼女の『日常』を刺激した。

つまり、彼女は「また、彼とあの頃の関係に戻れるかもしれない」という僅かな期待を『ジャコビニ彗星』に賭けたわけである。
しかし、オペラグラスを覗いて見えたのは、「月をすべる雲」と「揺れる柿の木」だけ。当初彼女にとって『ジャコビニ彗星』は「どうでもいいこと」だったのに、そんな「どうでもいいこと」にすら裏切られたことで、彼女は「彼が戻ってこない」ことを意識せざるを得なくなる
幼い頃親に「手を引かれて河原でみた花火」を思い出し、夢は束の間なんだと自分に言い聞かせた彼女は、彼といた日々が束の間の『非日常』と化したことに気づいてしまった。

物語の最後、翌朝に新聞を広げた弟から「シベリア(最もジャコビニ彗星が見えると言われていた)からも見えなかったってよ」と『日常』の中で、何の気なしに現実を突きつけられるというのが、恐ろしく残酷である。
どこまで彼女に現実を突きつけるんだよこの歌は...。

「寂しくなればまた来るかしら」という最後のフレーズがたまらなく胸を突き刺す。
少女から女性に変わる中で、現実は甘くない、人の心に「一生」なんて言葉はないんだよっていうことを、この曲の『彼女』と共に感傷的かつ冷静に学んだような、そんな気分である。

私はユーミンのサウンドを重視しているため普段あまり歌詞を意識して歌を聴かないが、こうして深く掘り下げてみると、この短い詞の中に1人の少女のストーリーと恋の教訓を(詩的な美しさを含みつつ)詰め込むユーミンはやはり天才だと思い知らされる。

「1972年10月9日」から43年後、『ジャコビニ彗星』の彼女の教訓をしかと受け取った今日である。

ぜひ、多くの人にこの曲を聴いてもらいたい。
とりあえず秋の夜、胸を締め付けてみてはいかがだろうか。

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