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#2 「学びと自治」を聞く〜小林達矢さん〜

個人の成長や成功の手段とされるようになってしまった“学び“。しかし、やや古めかしく堅苦しくも感じられる “ 自治 ” という言葉を通してまなざすと、“学び“には、社会を支える「公共性」と、自ら意味と価値を作る「個人の自律性」という、2つの新たな価値・役割があることが見えてきます。
Learn by Creation NAGANOの運営を担う実行委員のメンバーは、共に長野県を拠点としながらも、図書館や公民館運営に携わってきた方、インターナショナルスクールの経営者、書籍流通の民間事業者など、各々が異なる領域で活動しています。それぞれの語りから、日常に根ざした「学びと自治」を聞き取り、感じ取るインタヴューシリーズをはじめます。みなさんにとっての「学びと自治」に思いを巡らせるきっかけになりますように。

第2回目にインタビューした人:

小林達矢さん
Learn by Creation NAGANO実行委員。長野の観光施設再生に取り組むeternal story株式会社に勤める傍ら、若者たちの活動を支援する活動を続ける。現在の活動拠点は長野市を中心とした長野県全域、新潟県上越地方。


若者の活動支援を経て、現在は観光、地域活性へ

ーー小林さんがLearn by Creation NAGANOに参加されたのは3年前のことでした。当時は「長野県NPOセンター」に勤務されていましたが、2022年に転職されていますよね。

今は、道の駅など観光施設再生を通して「長野を元気にすること」をミッションに掲げる eternal story 株式会社に勤め、主に若手スタッフの人材育成や、地域連携の仕事を行っています。

また、Learn by Creation NAGANO実行委員のほか、「シナノソイル」と「iPledge」(アイプレッジ)というNPO法人の理事も務めています。

シナノソイルは若者を中心に置いて活動している団体で、長野県北部の農産物やクラフト商品などを販売する「シーソーマーケット」の実施、耕作放棄地で育てたトウモロコシを使ったポップコーン「爆裂 - シナノポップ」の開発などしています。いずれもアパレルショップの「FREAK'S STORE長野」さんに協力いただいています。

iPledgeは、若者が決意を持って社会を変えていくことを目指し、ごみの削減を目指す環境活動をしています。例えば、REGGAE Japansplash、FUJI ROCK FESTIVAL、SUMMER SONICといった音楽フェスで、大学生のボランティアを中心にごみ袋の配布や分別の案内などを行い、フェスへの参加者の環境意識を高めることに取り組んでいます。

ーーLearn by Creation NAGANOに参加されたのは、どんなつながりでしょうか。

前職の長野県NPOセンターで運営していた「ユースリーチ」がきっかけでした。ユースリーチは、長野県内の高校生や大学生の自己実現を支援する活動で、最終的には社会課題解決につながることを目的に、年に一度メンバーを募っています。私の役割は、年間の活動とそれをもとにしたアクションプランの設計、ブラッシュアップなど、活動全般のコーディネーションです。ユースリーチの大学生が Learn by Creation NAGANO でイベントを企画・実施したこともあります。

現在も、長野県NPOセンターが運営している高大生の学びと活動プログラム「地域まるごとキャンパス」の実行委員を担っていて、学生の課外活動をサポートしています。先日には、一年間通してユースリーチの活動をした女子高生から「カンボジア農村部の小学校に、健康意識を高めることを目的とした絵本づくりプロジェクトを立ち上げた」と報告がありました。学生たちが主体的に活動を継続してかたちになっていたのでうれしく思っています。

ユースリーチは、長野に住む高校生や大学生が学校の枠を超えて“若者が地域を元気にする”活動を実施。まちの課題を学生自らが発見し、アクションプランを作成、自ら実践している。

「ユースを応援したい」という思いの原点

ーー10代、20代を支援しようという意志の原点となったことなどはありましたか?

高校時代に経験した疎外感です。

私はリンゴの名産地に生まれ、小学校時代は家と学校以外にも地域とのかかわりが多い中で育ちました。

小学校の頃の私は、地図帳を開き、鳥観図に関心があり、自分で町の絵をかくのが好きでした。今思うと、まちづくりに関心を持った原点でした。登下校の際に、友達と地域巡りやお寺の坂で遊んでいた際に、生産者の方に声をかけてもらった記憶が懐かしいです。

地元のリンゴ農家を手伝う小林さん

その後、中学、高校と通学距離が伸びて、地域との接点が薄れていきました。部活動もまちづくりとは無縁の運動部に入り、休みがほとんどないところでした。私自身なにをやりたいのか見失うときもあり、みんなが部活動をやっているから入部したという気持ちでは継続できず、退部。家と学校との行き帰りになり、少しずつ居場所がなくなっていったんです。

私自身は、好奇心があり社会で起きている様々なことには関心があったものの、教科書やネットから得られる情報は机上のもの。実際にまちに飛び出して、いろいろ学びたいと思ったのですが、高校時代の私はそれを相談し、つないでもらえるところを見つけられませんでした。
活動できる場所がない、その辛さが身にしみてわかっているから、ユースの自己実現を支援し続けているんです。

ーー小林さんは、東京の日本大学に進学し、卒業後は松下政経塾に入塾されています。どんな経緯があったのですか?

高校の3年間を経て長野を離れたくなり、まちづくりを学びたかったのもあって、進学を機に上京しました。でも東京に着いてみると、街自体が大きくてよそよそしくて冷たく、入学直前にあった東日本大震災(2011年)で計画停電が行われるなど非常事態の生活。なんとなく感じる暮らしづらさに「東京よりも長野にいたほうがよかったかもしれない」と思うようになりました。

だから、就職活動は長野と東京の両方で。その最中に、同世代の学生が、「信州若者1000人会議」や「プロジェクト信州」といった学生団体を立ち上げ、長野市善光寺門前界隈の活性の取り組みを行っていることに大変感銘を受けました。その活動の中には、Learn by Creation NAGANOの実行委員メンバーであり「びんずる市」実行委員として長野を盛り上げている箱山正一さんもいました。

その時、長野が今後おもしろくなる予感を抱きましたし、彼らの存在がいまの私の原点にあります。しかしそのタイミングで、松下政経塾のOBの方から、まちづくりにも「経営」を学ぶ必要があるからとお誘いがあり、松下政経塾に入塾することを決意しました。

創設者の松下幸之助氏は、50年前から「観光立国」や「地域経営」を提言されていました。松下政経塾のOBが自治体の首長や民間のまちづくり会社の社長になっているため、実際に全国の先進事例を学べるのです。

ーー松下政経塾での学びや経験はどのようなものでしたか?
のちにユースリーチでの活動にもつながる言葉に出会えたことが大きかったです。「未来を語る・断定しない、否定しない・相手のいいところをほめる」という言葉です。これはもともと、「津屋崎ブランチ」(福岡県福津市津屋崎)の山口覚(さとる)さんが、「意味の学校」という活動で使っていた言葉です。

松下政経塾の研究で機会を得て、津屋崎ブランチを訪問したとき、参加者同士が年齢や性別に関係なく、フラットに意見を言い合っていたことに驚きました。ワークショップでよく見られるのが、大人ばかりが話したり町の昔話を始めたりする光景です。でも津屋崎ブランチでは、若い参加者の意見をみんながじっくりと聞き、断定も否定もせず、未来の話へと展開させている。世代や職種の違うメンバーがふらっと話せる空間づくりが行われ、結果、移住者が200人増え、まちの活性化に寄与していました。まさしく「人の心をつかむまちづくりの経営」を実践されている事例に出会えました。

ーーその後に長野県NPOセンターで関わられたユースリーチに、津屋崎での学びはどうつながりましたか?

津屋崎ブランチで中学生も大人もフラットに意見を出し合う姿を見て、未来を語ること(ビジョンを立てること)、自発的に考えられる環境づくり、さまざまな体験のために地域の人をつなぐこと、この3つが大事だと感じ、ユースリーチでもそれを実践してきました。

ユースリーチは、高校生と大学生が参加してアクションプランを立てる活動です。参加してくれた高校生達は、思い思いに活動しますが、なかにはユースリーチを飛び出して県外の活動に参加したり、生徒会長になって学校の改革に取り組んだり、いろいろなコミュニティに積極的に関わり始める子もいました。若者自身が行動を起こし、まちとつながるのを見て、津屋崎で感じたことを取り入れてよかった、と思ったことは何度もありました。

ユースリーチ活動発表会「信州高大生応援フェス」(2020年)で、参加者のみなさんと。

ーーその後、長野NPOセンターからeternal story会社に転職されたのは、ユースが活動する場としての町に関わりたいと思われたからですか?

まさにそうです。NPOセンターでは、主に学生の活動を見守る立場で仕事をしていましたが、自ら地域に飛び出し、マイプロジェクトを実践する学生を見て、私自身も地域活性化に資する仕事をしたいと考え転職を決意しました。

転職先に eternal story 株式会社を選んだのは、移住者や20代の社員が「地域活性化」を目的に働いていて、魅力を感じたからでした。この会社ならば、地域活性化という思いをもったユースと一緒にまちづくりできると考えたのです。実際、転職した後に、若手スタッフが作物を出荷してくださる農家さんと楽しく世間話をしながら、農産物の見どころを聞き出している姿が目に留まりました。そのスタッフは、「自然豊かな長野が大好き」で移住してきたとのこと。しばらく経つと、地域の方とふれあいながら仕事をしたい20代のスタッフも転職してきました。

先日は、地域内で30年間行われてきたジャンボカボチャコンクールをリニューアルして、農家さんが生産したカボチャの中から、道の駅を訪れた観光客に推しのカボチャに投票してもらう「ハロウィンかぼちゃコンクール」を開催しました。道の駅の若手スタッフに加えて、地域まるごとキャンパスで募集した大学生、住民自治協議会の方と一緒にイベント企画運営を行いました。結果、2日間で450名の方々に投票いただき、農家さんの表彰式を開きました。

道の駅中条にて行われた、ハロウィンかぼちゃフェスの集合写真。

小林さんの学びと自治

ーー活動してきたなかで、小林さんが影響を受けたことや考え方はありますか?

小布施元町長の市村良三さんに教えてもらった「400世帯」です。顔が見える400人くらいの関係性で、まちづくりを考えるべきだよねというお話です。

小布施町は、長野県内で最も小さな面積の町で、1万人のコンパクトなまちというイメージがあります。毎年120万人が訪れる小布施町は商人のまちと思っていましたが、市村さんいわく小布施町のほとんどが農村地域であり、まちづくりには農村部の協力も必要とのことでした。

「自治」の単位として、江戸時代の田畑の集落「小字」のだいたい400世帯の顔が見える関係が当てはまり、この単位の住民自らが楽しく暮らそうという意識が大切だとのことでした。
住民自らが楽しく暮すために、自宅の庭を開放し、来訪者との交流を積極的に図ろうとする動きが小布施町全体に広がったことで、今では全国から若者が集まる小布施若者会議が開催され、町外の方を受け入れ応援できる、協力し合えるコミュニティが形成されてきているのだと思いました。

ーーそれでも、まちづくりや移住などでよく言われる「地域の人々と外部からやってきてそこで何かコトを起こそうとする人々の温度差」ってありますよね?

確かに、何かコトを進めようとすると、「管理はどうするの?」「何かあったらどうするの?」といった声にたびたび出会いました。それが度重なると自分たちで何かをしようという姿勢が地域に失われる。万が一何かあったときに連帯責任にされてはたまらないという意識と、逆に過剰な期待を重ねてしまうことがあるんだと思います。

地域で何かを始めるとき、外から来た人のアイデアが住民の求める思惑と合致することはそうありません。若者が地域で新しいコトを起こそうとするときも同じように、住民との思いと合致しないことがあります。

地域にはもともと長年まちづくりをしてきた人がいて、町の役についていたりする。新しいことをする前に、従来の地域活動に参加することが必要になってきます。挑戦しようと思った若者はこの地域では自分たちがやってみたいことはできないと考え離れていってしまうところをいくつか見てきました。地域活動の積み上げは大切ですが、津屋崎のように若者の意見も取り入れる地域であってほしいです。

ーーそういう状況が好転したことはありましたか?

地域の人々や大人たちの意識を変えるのは難しいケースが多かったです。それでも諦めずに仲間と支え合うことで活動を続ける若者たちはいます。ユースリーチの活動で、大人側から半ばダメ出しの鋭い質問をされた高校生が、心折れずにアイデアを練り直してきたことがありました。彼の心が折れなかったのは、相談できたり応援してくれる仲間がいたからだと思います。私の高校時代には、相談できたり応援してくれる仲間が集まる場所を見つけられなかったのでうらやましいなと感じます。

何かに取り組むときに、仲間の存在はとても大切です。ユースリーチでも、活動を通して仲間を作ろうと呼びかけています。個人だったら心が折れそうなときでも、話せたり相談できる仲間がいると支えになってくれる。つながってさえいたら、いつでも一緒に何かを始めることができます。

2021年には、放課後や学校外の10代の仲間と出会え互いに学びあえる場所として、「学びの拠点 fourth place」という無料スペースを作りました。机やWi-fiなど勉強に必要な設備のほか、無料のお菓子やピアノ、ゲームなども置いて、そこにいる人と長い時間を共有できるようにしています。2023年10月には「ながの若者スクエア『ふらっと♭』」という、ユースが主体的にまちづくりに取り組めるような場所もオープンしました。

ながの若者スクエア「ふらっとb」では、カンボジア支援のプロジェクトを立ち上げて報告してくれた女子高校生による講演も。

普段「学び」と言うと学習支援と思われがちですが、学びの拠点では、10代同士が学校外の友達に出会い、プライベートの話から、自ら立ち上げるプロジェクトの相談まで、自由に行うことができます。教わるのではなく、互いに学びあっていると思うんです。こうした施設や活動を通して、ユースがどんどん仲間を作っていってくれたらと思います。

ーーそうした場の有り様は、まさに「ユースの自治」ですね。若者が大人に頼らず、自分たちが自分たちでできる範囲で成立させるコミュニティは素晴らしいと感じます。ユースが自分たちのやり方で居場所を運営していく場は、10年後、20年後の長野県の自治を支えていくんだろうな、と思います。

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