素直は大切なことだけれど、言葉は表面通りに受け取るものではない。
悪口が悪口でないときが多い。
これは関西圏に多いような気がするし、もしかしたら私の周りで特に多いかもしれない。なにせ私自身がそうなのだ。
あほは親しみ。かしこいは貶し言葉。
立派な父の教えである。信じずしてどうする。
そんな私であるから、仲が良くなれば良くなるほど悪く言う。口も悪くなる。大好きな人間であるほど、頭おかしい最低、なんて平気で言う。
これは私なりの愛だ。そして信頼だ。
最近血液型の話になった。私はB型なのだが、幼少よりよくA型だと言われてきた。母も妹もA型だからかな、と思っていたのだが、最近は「どう見てもB型」と言われるようになった。
自分勝手、わがまま、と好き放題言われるB型であるが、私はそう言われるようになったことが嬉しい。
たぶんそれは、上述した私なりの愛の示し方が導いた答えなのだと思うから。
逆に言うと、私をB型っぽくないと言う人には、私らしさを示せていないのかもしれないね。
ところで。
上記は言葉をそのまま鵜呑みにしないでね、の良い例。そんな言い方をするならだけど。
全く逆の意味合いで、額面通りに受け取ってはいけない言葉もある。「ごめんなさい」に対する「いいよ」だ。
これは持論だが、「ごめんなさい」はある意味言葉の暴力だと思う。もちろん謝るために必要だし大切な言葉なのだが、これを言われると「いいよ」
と許さなければならないような圧を感じてしまう。
私も最近、迷惑をかけた人に謝罪した。「いいんやで」と言われたけれど、それが本心かどうかは分からない。とにかくもう同じことは繰り返すまいと考えている。その人はその後、なにもなかったかのように仲良くしてくれるけれども、私は境界を見誤らないように気をつけようと思う。調子に乗るのはだめだ。
素直なのはとてもいいことだ。私も、言葉に嘘を混ぜたくないと思っているし、自分の感情に正直にいたいと思っている。
けれども言葉の受け取り方というものは人それぞれで、発語した中に含める意味も人それぞれなのだ。
それを忘れずに、対話をしていきたいと思う。
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