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人生でいちばん強烈で、きっとそのうち忘れる体験|エッセイ

先日、人生で最も強烈であろう体験をした。
出産である。
厳しいものだと噂には聞いていたし、この10ヶ月に渡る妊娠期間でそれなりの覚悟を積んできたつもりだった。
だが甘かった。
こんなのトラウマになるよね!?というレベルで、もう二度と御免なくらいだ!と喚いていると、そのうち忘れるように脳ができてるから大丈夫〜、次のときには慣れてるよ〜と言われた。本当かは疑わしいが、もし本当ならば今のうちに書き残しておくべきでは!?となった次第。

さて、私には実母がいない。正確には、3年前に他界している。
と、いうことで所謂里帰り出産ではなく、出産前後を義実家でお世話になることにした。
いやー、気まずいよね。産まれてからならいいけど、いつ産まれるか分からん状態で待機させてもらうて。(私はクリニックで産んだので、陣痛が始まってから入院だったのです)
ところがあらあら。義実家への移動2日前からおしるしがあり、義実家到着の夜にきつめの前駆陣痛が。それは順調に本陣痛に移行し、なんとそのまま病院行きになったのです。(義実家気まずい!という母の思いを察した空気の読めるお子。)

出産の痛みについて、鼻からスイカと聞いた人も少なくないでしょう。
だが誰か、私に陣痛のつらさを警告してくれたでしょうか?否。
本当の敵は陣痛であったと言っても過言ではない。泣きながら悲鳴をあげ、立ち会いだった夫に当たり散らし、もうやめさせてくれ、と叫んだ。
骨盤が割れそうな、痛みを超えた痛み。歩くことはおろか体勢を変えることすらつらく、なんならどんな体勢でもつらい。
磔の呪いの痛みはきっとこれだと思った。なによりそれが数分おきに訪れるのだ。絶望である。
今だから言えるが、一瞬本気で妊娠したことを後悔した。
涙を流し泣き叫び、最終的には泣く気力も失ってだらりと痛みに耐え白目を剥く私を、夫は慰めながら記念撮影していたのだと翌日に知る。
余談だが、その日は私以外にも出産があり、私の悲鳴か彼女の悲鳴が常に響き渡っていた。自分が無事なときに悲鳴が聞こえると、気持ちわかるよ…!と顔も知らぬ相手に連帯感と共闘意識を覚えていた。
果てがないように思えた陣痛に耐えること約6時間。トイレ行きたいでも出ない!それは赤ちゃんがおりてきてるんだよ!という会話を数回経て、定期的に私の股に手を突っ込んで子宮口の開きを確認していた助産師さんがOKを出し、私は分娩室に移動した。ちなみに助産師さんの手は毎回血まみれだったらしい。
分娩台の上で、さあいきんで!という有名な瞬間を迎えたわけだが、初産婦である。いきむとは!?とにかく力入れる!?とした結果、別の穴から別の物体をひねりだしてしまった。あるあるらしい。助産師さんも夫も動じず、私に至っては恥じらいなど感じる余裕はどこにもなかった。
ここでも叫んだ私だが、声出すとそっちに力使うから息吐くだけにして!という指示により、声を封印することになった。声出してた方が楽だった気がした。
お子の頭が出た瞬間は、ぶりん!と塊が出たのを感じた。
その後医師先生が到着し、もうあとはこっちでやるから!と会陰切開と吸引で子どもを出すことに。いきまなくていいよと言われても、この段階になるといきんでしまうものなんですね。そして切られた痛みは本当にどうでもよかった。
無事子どもを産み落とすと、嘘のように骨盤の痛みは消えて、私は一気に回復した。それでも、胎盤をどゅるんと出されたのはいいとして、会陰切開の縫合はそこそこ痛かった。先生痛いよ???と何回か言ったのだが、麻酔の効果ってなに???
産まれたばかりのお子は小さくて、真っ赤で、くしゃくしゃして、ひたすら可愛いかった。この生き物が10ヶ月の間お腹で育っていて今出てきたのだと思うと、無事が奇跡で有難いことだと実感した。
そして、この凄まじい陣痛をこの短さで終えられたことに感謝し、もうなにも痛いものはないと思った。
このときの私は、会陰切開の傷のせいでまともに座れなくなることをまだ知らない。

【まとめ】
陣痛をひどい生理痛って言う人がいるけど、嘘だよね。三途の川見えるもん。
忘れるってほんと?

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