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春 寒 の 水 仙

 祖父の家の夢である。
 居間で祖父を囲んで、親族がなにごとか話し合っている。祖父は若々しい顔だった。わたしは彼らの傍らを通り過ぎ、次の間に移った。そこはそれまで全く知らない部屋で、あることを聞いたことがない。

 埃があつく積もり、手が触れれば手を、上着の裾が触れれば裾を汚す室内だった。履いていたスリッパと靴下は埃まみれになっていたから、半ば諦めて歩を進めた。
 窓硝子は、ほぼA2サイズの大きさの窓枠に護られて、下の把手でロックを外し押すと、窓が上へ四十五度ばかり動いて開くものだった。

 明かり取りは北だけだが、早春の光を受けて室内は意外と明るい。
 窓の外には道路が壁面とほぼ接して平行に走っている。室内から路面を見るのだから、眼が外の明るさに慣れるまでは、路側の白線や路面が色飛びしてまぶしい。
 眼が外光になれてくる。道路の向こう側は、大きな石で石垣を積み上げ、その上に邸宅を建てるという昔に流行った邸宅が見える。道路と言えば、国道や県道と言った幅広いものではなく、生活道路を少し幅広くしたようなもので、わたしの視線の高さに路面がある。

 道路からは自動車のまばらな騒音と通行人の女性の会話などが、流れ込む。煩いというほどもない生活騒音だが、ほのかな風が室内の埃を舞い上がらせる。小説の描写にあるような、微細な銀粉や鱗粉を舞い上がらせて輝くといった綺麗なものではないから、わたしは硝子窓を閉め切った。

 次にも部屋がある。和室だった。階段を少し降ったようだった。ここも埃に覆われていたが、前の部屋ほどではなく、畳の色が少しばかり陽に灼けているのがはっきりとわかる程度である。また障子紙がやけに白い。屋外から障子に強い白熱光をあてているような、不自然な白さである。だが、ここでも室内は薄暗く、北側の道路に面した面は、壁で封じられていた。

 三番目の部屋である。この部屋はさらに低いところにあり、前方、つまり東側に二本の木柱と障子戸があった。茶室造りを模した粗壁と欄間の六畳の部屋だった。障子戸の一枚が半分開け放たれ、屋外に臨める。
 膝丈くらいの高さに植物の緑が色飛びして、半分ばかり眼に入る。振り返ると、左上には生活道路がかすかに見える。道路の基部が背丈よりも高いコンクリートの湿った灰色を連ねている。

 この部屋には、南側に小玄関へ降りる引き戸があった。出ると、玄関脇に腰ほどの高さの黒い石が三つばかり集められている。庭石でもなく、玄関を飾るにも場違いな、意味の分からない石だった。
 こうして屋外から建物を振り返ると、戦後期の安普請な旅館か料亭のような造りで、ありふれた民家と違っている。施主の趣味なのか設計者の才能か知らないが、品があるとも、平凡とも言えないような造りになっていて、わたしはやや興ざめしていた。が、玄関から南をみると三、四の立木に遮られながら、細いアスファルトの道が横切っていて、その向こうには雑草が茂った下り坂の原っぱが見通せた。

 家が三軒ばかり建ちそうな広さである。その先も下り坂が続いているようだが、目先の立木とその空き地に突き出した枯れ松に、視界のほとんどが覆われていて見通せなかった。その空き地の左側には白色が退色してほとんど灰色になった外壁をもつ三階建てくらいのアパートが建っている。ずいぶん静かである。

 祖父の家からは、海がとおく霞んで見通せるのだが、海原どころかその手前のビル群も目に入らない。ただ、冬枯れが残る原っぱの斜面がだらだらとくだっているばかりである。
 この建物が連なる西側に目を向けるが、母屋が見通せない。通り抜けた部屋はどれも広くはなかったが、母屋から遠く隔たっているのだろうか。
 屋外の景色がまったく一変しているから、ずいぶんと距離があるのだろうか。
 しかし、こんな建物が母屋の東にあることを知らないし、伝え聞いたこともない。そのあたりは深い地隙になっていて、両岸をほぼ垂直のコンクリートで固めて水面まで降りていくことが無理な、○○○川が流れているはずだ。

 趣味は悪いが、建坪は広く、南斜面はなだらかに広がって夏には緑に覆われる静かな立地である。
 親族が誰も知らない、敷地内の古い三流料亭のようなこの建物は、誰のものだろうか。番地はどうなっているのか、と様々な疑問がわく。
 都心に近く、日当たりがよく、景色を見渡せる広い部屋がある。できれば引っ越して住みたい。

 居間で祖父を囲んでいた親族を思い返した。
 父母もおじやおばもいなかった。いとこたちの顔もなかった。義理のおじやおばたちの姿もなかった。大伯父と大叔母もいない。祖父は、セピア色の写真でみた若い頃の容貌だったが、祖父を囲んだ人たちはだれ一人知らない。この見知らぬ間取りの家は、ほんとうに祖父の家なのだろうか、としつこいほど自問していた。

 自問に飽きて、産まれたての陽光に身をひたして、ふたたび目の前の斜面を眺める。
 ここからは見通せないが、ずっと先に、病院の敷地と、ある会社の寮が、うずくまっているのを知っている。その鱗片をたしかめたくて、庭先を進んだ。

 手前の冬枯れの空き地に、農夫のような老人が横切っていくのが小さく見えた。色あせた青いジーンズをまとって腰を曲げてゆっくりと歩いている。彼なら、疑問すべてを解いてくれるように思えた。
 しかし、わたしの声がでない。声をだそうとすればするほど、喉の奥がつまって吃音すら出せない。わたしは、坂を駆け下りた。老人はわたしの気配に気づいて立ち止まり、わたしを見上げる。彼の表情は小さくて分からないが、関心がなさそうに向き直って、彼はまた歩き出した。
 彼に、水墨画で遠景に小さく佇む杖をついた仙人を連想した。

 わたしは諦めて、もと来た緩い坂をのぼった。冬枯れの中に、緑色が群生しているのを見つけた。野生化した水仙である。
 この水仙のいくつかは黄色く花開き、わたしを見上げている。
 その一つに顔を寄せてみる。期待した香りでなく、話し声が聞こえる。不審に思いさらに顔を近づける。なつかしい声音。むかし聞き慣れた声だが、しゃべっていることを聞き取れない。
 花芯で何かが小さくうごくめく。蜜蜂や蟻などではない。もっと極小だ。
 ……そこでは、少年の祖父が愉しそうに哄笑していた。

 ただこれだけの夢である。
  (おわり)
        

 自分用メモ:『三年まえの三月十八日の夢』を改題、修正