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映画「ハンナ・アーレント」

この人との出会いがなければ、多分知らないまま人生を終えてたな…と思うことが増えてきた。

落合陽一という、メディア・アーティストで大学の先生で経営者で魔法使いという、なかなかにぶっ飛んだ人の主宰する「塾」の片隅に在籍している。塾長は…とにかくパワフルで多視点からの発信をする人なんだけど、最近は「2100年までの課題を考える」というテーマで「プラネタリー・バウンダリー」とか「コモンズ」とか「ヒューマン・ライツ」から「ペット」まで、その道の研究者と対話されてる。(その対話を生中継するネット配信番組があって…これが下手なドラマより面白いという…すごい時代だよね)いやもう呪文の世界。でもね、本当はきちんと考えとかないと後々困るかも…って事ばかり。(謎のワードについては興味ある方はググってください…汗)

実は私の小学生時代に「人権教育」という謎の授業がありまして。これが、閲覧注意な写真(戦争の悲惨さを知る…的な)を見せられるとか、レイシズムの残酷な現状を晒す…という、なかなかにトラウマな授業だったのもあって。冗談抜きで、落合さんがトピックとして取り上げるまで、正しい意味での「ヒューマン・ライツ」を知らなかったのです。そしてその言葉の意味や解釈が、インターネットの登場で変容しているという現状も、つい最近まで「知らなかった」。…落合さんを追っかけてなかったら、多分一生知らなかったかも。

「ヒューマン・ライツ」(…上記のような理由で漢字表記できないんですよw)をめぐる落合さんとの対話の中で紹介されたのが「ハンナ・アーレント」という女性哲学者。彼女の生涯における最大の「炎上」を取り上げた映画があると知って観てみました。

【ざっくりあらすじ】
ユダヤ系女性哲学者のハンナは、抑留キャンプから脱走してアメリカへ亡命。アメリカで研究者・思想家としての地位を築き、大学で教鞭をとる日々の中で、ナチスのSS アイヒマンがイスラエルで裁判にかけられることを知る。ニューヨーカー誌の特派員として裁判を傍聴するが…そこにいたのは、残虐な悪魔ではなく生真面目で凡庸な役人だった…。

衝撃を受けた彼女は、アイヒマンが「思考停止」に陥っていたこと。思考を停止してモラルを捨ててしまうことは、人間であることを放棄することだ…と記事にして「ユダヤ人なのにナチスを庇うのか!!」と大炎上。
社会哲学者としての見解として何も間違ってはいない…と私は思うんだけど…もう一個の事実の公表(映画で見てね)は時代背景考えると地雷踏んだ感は否めない。

SNSの炎上で命の危機にまで晒されるのは、今の時代はほぼ無いだろうけど、1960年代の炎上は脅迫状の山と罵倒の電話が鳴り止まず、彼女は郊外に身を隠す。聡明な彼女は、こうなることを知っていただろうけれど、それでも「自身のアウトプット」を止めなかったんだと思う。凄まじい勇気だ。

古い友人たちが彼女とは相容れない…と去っていく中で(一部の人は彼女の哲学として理解はするけど感情的に許せないんだろう)、学生達は彼女の勇気を称えている…ってのも、哲学や思想が時代によって変容していく様を見ているようで印象的だった。

世の中がどうなっていくのか?…なんて知らなくても、大抵の人はすぐに生活には困らない。でも今、大人が考えなかったら、子どもたちはどうなっちゃうんだろう…とか、子どもに未来を託すために何を伝えるのか…って考えると、「知ってる」と「知らない」の差は大きい。…とつくづく思うので、これからも落合塾でコツコツ学び、時にはこんな風に書いていこうと思う。

さて。映画ファンとしての視点から見た「ハンナ・アーレント」ですが。
1960年代の落ち着いた大人の女性のファッションが素敵です❤︎
ハンナは研究者・教育者としてシックな(でも地味じゃない)色のスーツや仕立ての良いコートでヘヴィ・スモーカー…ホントかっこいい。
親友の作家は女性らしく華やかな大人カワイイ着こなし…でも舌鋒鋭い。
60年代のニューヨークでの知的上流家庭のインテリアも、学生達のファッションも(サリンジャーの「フラニーとズーイ」ってこんな感じなのかぁ)、色味を抑えた色彩設計も秀逸。

秋の夜、静かに考えながら味わう、大人のための映画です。


読んでくださってありがとう🌟ぽちぽち書いていきますね。