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置いていかないでくれ〜

⚠️ 僕は超絶わがままかつ他人との境界がぼんやりとした人間なのでこういう考えが出てきてしまう時があります。

僕が自己と他人を区別できるようにじっくり考えた独り言を書いています。

なぜ置いていかないで欲しいと思うのか

自分は他人の得を自分の損だと考えている節がある。これは多分自分と他人の境界が曖昧だから。

だから自分と対になる人間が勉強をしていると相対的に自分が勉強ができない人間になると考えている。

それに対して自分と似た人間が頑張っていると自分の能力が大きくなったつもりになって怠け、堕落する。

自分は怠けているので結果が出せる訳もなく、裏切られたという気分になり、置いていかないでと思う。

本当によくない、、、、

なので人の幸や不幸を共に感じれないカスなのだ。

まずまずこの考えはどこから来たのだろうか

生まれ持った性質ぽい


親に無視され育った人間のため、自己肯定感とか認める力というものがすこぶる弱い。そして人間に無視されるということは自分も他人もない状態に長期間置かれるということだと考えた。

つまり!

自己肯定感が低く自分と他人の境界が曖昧なため、人と比較して自分が認められない。認められたとしてもそれは他人とセットであり、そこに甘えてしまう。

元々あった素質を育て方や生き方により拗らせてしまったということだと思う。

無視しないで

だから置いていかないでというのは私を無視しないでという気持ちの現れではないか?と考えた。

なので私はこう思うことにした。
自分は尊重され、自由にしてもらっている上、それは愛されているから。

これを考えると気持ちが結構楽になった。

自由にすることを尊重してもらっているから僕が勉強しようがしまいが、得しようがしまいが、能力があろうがなかろうが、誰も僕を構わない。

これは寂しいことではない。

こよなく自由や放任を愛する自分にとってとても合っている方法なんじゃないかなと思う。

無視ととるか自由にしてもらってると取るかは自分次第なので。

私は自由を尊重されています。
無視なんかじゃないよ、大丈夫だよ、

人が得したり秀でている所を褒められているのは自由ややりたい事を尊重された結果だと思う。

だから私とごっちゃにしてはいけないし、ごっちゃにすることは他人の自由も自分の自由も尊重していないことになる。

同じく喜んだ方がいいのだなー

なんとか自分の中で一区切り付けたのでよかった。

何を言ってるか分からないと思うが!

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