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円環

私達は地球で色々なことを体験しながら魂を磨くプロセスの中にいます。

これは何らかの体験がないとなかなか信じられないと思いますが、自分の心を意識して生活しているとあらゆるところに神性が見出だせるようになって、「あぁ、プロセスが少し進んだな」と言うのも感覚で分かるようになります。

さてこのプロセス、ゴールはどこなのかと言うと…無いのです。
以前までは『すべてとの合一』がゴールだと思っていたのですが、すべてになってしまうと周りに何もなくなる、つまり何も体験することができなくなるため、私たち創造主はそこに留まれず、また体験を創造するプロセスに戻ってくるそうです。
このプロセスって、スタートからゴールまでの直線ではなく、スタートもゴールもない円環なんですね。

考えてみれば地球のような対極の世界も、シーソーのように極が両端にあるのではなく、メビウスの輪のように表裏一体となっているのです。
だから裏から表には一瞬で変わります。

私もスピリチュアルを「霊感商法の詐欺師ばっかやん!」と毛嫌いしていたところ、突然変容が起きて「世界が意識でできてるって本当だったんだ…」と信じざるを得ない状況になりました。
ただ、自分の意志(顕在意識)に関係なく起きたことなので、何がどうなったのかなんて説明できません。
ちなみに変容と言うのは一時的に視界が変化し、体が軽くなり、エネルギーが感知できる…というものでしたが、これはどうも魂がとあるプロセスに乗った時に贈られるギフトだったみたいです。贈り主はさらに進化した先の自分だったと感じています。

世界が意識でできているというのを、体外離脱で体験する人もいるらしいですね。瞑想や絶望から気付く人もいるとか。死ぬ寸前に気付いたという話もあります。やはり体験というのは人それぞれ、プロセスは∞にあるのでしょうね。

スタートもゴールもないとなると、まさに「今」こそが魂が体験したがっていたこと。
エゴにまみれていようが、矛盾したことをしていようが、どれだけお馬鹿でアホアホなことをしていてもOKなのです。
わざわざそのポイント、そのレベルを選んできている訳ですから。

快楽、悲哀、激怒、羞恥、絶望、不安、恐怖、歓喜…どんな感情もすべて尊いものです。
不安に怯えることも、恐怖から逃げることも、自分を繕うことも、怠惰の限りを尽くすことも、地球で生きている人間だからこそできる体験ですね。

ネガティブなものを避けたり嫌ったりする人がほとんどだと思いますが、ここは対極の世界だから、不安が大きかった分安らぎを感じることができるし、たくさん悲しんだ分喜ぶことができるので、ネガティブな出来事はポジティブな出来事の前祝いみたいなものですw

また、死ぬことと生きることも円環なので、死んだらすべて終わりでもないみたいです。(これも体験がないと信じられないものの1つだと思いますが…)
なお私は違う人生体験(の一部)を3つほど思い出しているので、輪廻転生はあると確信しています。
死んだあとどうなるか具体的には分かりませんが、プロセスの途上であることは確かなので、また新たな環境で物語が生まれると考えると、私は死ぬことも楽しみの1つになっていますw

念の為に言っておくと、生と死は円環なので、死ぬことを楽しみにして生をないがしろにする訳ではないです。
生まれた以上、死から逃れることはできないし、いつ死ぬかも分からないので、やりたいことは今どんどんやって「我が生涯に一片の悔い無し!」と言って大満足で死ぬのが夢です。

地球上ではどんなに失敗しても最悪、死ぬだけです。
それすらも進化のプロセスのひとつであって、また次に進みます。だから、どんなことが起きても大丈夫。

進化を急ぐ必要もないし、何かになろうとする必要もない、自分のままでこの世界を楽しんでいきたいですね♪

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