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「家族システム論」とチョコレートドーナツ

冬木カウンセラーによる「映画で学ぶ心理学」シリーズ。
有名作品から、知る人ぞ知る作品まで、様々な映画作品をテーマに心理学の探求過程を辿ります。

皆さんにとって「家族」とはどんな存在でしょうか。生まれた時からそこに存在した母親や父親のように血のつながりによって結ばれた関係のことでしょうか。それとも他者と他者が心を交わしていくことによって構築されていく関係のことでしょうか。

2012年にアメリカで公開された「チョコレートドーナツ」という映画は、「1970年代のニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話に着想を得て製作された映画です。
「家族」とは何かを考えさせられる作品となっています。

あらすじ

歌手を夢見るルディは、ゲイバーでショウダンサー、ドラァグクイーンとして働きながら貧しい生活を送っていました。
ある日ルディは、隣人の騒音に腹を立て、文句を言いに向かいます。家には誰もいないと思いきや、部屋の片隅にダウン症を患う少年マルコが座り込んでいました。マルコの母親は麻薬所持で逮捕され、マルコは施設に送られることになっていました。
ルディは、弁護士として同性愛者ということを隠しながら生きていた、恋人であるポールに相談しました。そして、ポールの家で3人、共同生活を送ることになったのです。

ルディとポールの二人はマルコに惜しみない愛情を注ぎ、3人は幸せな日々を送っていました。しかし、周囲はそんな3人を偏見で満ちた目で、受け入れようとしませんでした。マルコは施設に送られ、ポールは会社を解雇されてしまいます。
マルコから引き離されたルディは裁判を引き起こし、懸命にマルコを取り戻そうとしますが、叶いません。

構築されていく「家族」

この物語で3人の幸せな生活を引き裂いたものは、障害や同性愛者への差別、そして「家族」とは血のつながりによって結ばれた関係であるという考え方でした。

私たちは母親のお腹の中から生まれ、そして成長するにつれ、母親から離れ、母親とは別の存在として生きています。
生みの親である母親は子供にとって、大きな影響力を持っているでしょう。それは、何もできない赤ん坊にとって、保護者は最も近くにいる可能性の高い実母であることが多いからです。

生まれたばかりの子供と実母の間にあるそれは、へその緒で結ばれた確かにあるつながりです。しかし、あくまで「つながり」でしかありません。
「家族」としての関係性は血のつながりとは別に、親子であっても別の個体であることを認識した上で、構築されていくものであるのではないでしょうか。

最近SNSでは「親ガチャ」という言葉を耳にします。生まれてくる子どもには母親を選ぶ選択権がないという意味で使われているようです。
確かに、血のつながりで言えば、母親を選ぶことはできません。しかし、「家族」を選ぶ選択権がないわけではありません。

「家族」とは、あくまで一つのシステムであり、自ら構築して育むことができるものです。血のつながりのない関係であっても、愛情を注いだ対象や、愛情を注いでくれる存在は「家族」と呼ぶことができます。
愛犬や、育ててくれた誰かや、ただ近くに住んでいる誰かを、あなたが愛情を注ぎ、大切な存在と感じているならば、それは「家族」と呼べるかもしれません。

家族システム論とは

“「家族」はシステムである“という考え方は「家族システム論」に基づきます。
システムとは秩序を持ち、構造化された、なんらかの集合体のことです。
家族システム論では、家族を構造、機能、発達といった3つの視点で捉え直します。

① 家族の「構造」
家族構成員を指します。父、母、息子といった3人家族であれば、これを構造とします。

② 家族の「機能」
家族の役割、すなわち、父親としての役割や母親としての役割を指します。母は家事をし、父親はお金を稼ぐといった役割も「機能」に含まれます。
相互のコミュニケーションがどのように行われているかといったパターンについても「機能」に該当します。例えば、娘は母親と親密なコミュニケーションをとっている一方で、父親とは情緒的遮断がされている等のパターンを指します。

③ 家族の「発達」
時系列にしたがって家族の「構造」や「機能」が変化していくことを指します。ある家族に子供が誕生したり、結婚したり、離婚することによって「構造」が変化したり、新たな役割が増えたり減ったりすることで「機能」が変化する場合があります。

マルコにとって、実母との家族関係は「機能」不全であったことが言えます。ルディ、ポールという存在は「構造」として、2人とも男性であったことから、時代的にも社会から認められなかった側面がありますが「機能」の点に着目すると、愛情を持って相互にコミュニケーションし合い、家族としての役割を果たしていました。

映画ではマルコに「あなたにとっての家族は?」と聞いてくれる第三者はいません。そしてマルコの「ルディやポールと暮らしたい」という希望を知っていても、裁判で尊重されることはありませんでした。

家族の在り方の多様性

上記までも述べてきた通り、「家族」は人と人との関係性が集合した、ある程度の秩序や規則性を持った一つのシステムと考えられています。しかし、その構造や機能は現代社会においては様々で、変化していくものであるため、こうあるべきという明確な定義は存在しません。

「家族」は固定化された概念ではありません。
したがって、今、家族で起きている普段気づかないパターン化されたコミュニケーションに対し、今後、家族構成員としての自分がシステムに何らかの働きかけをすることで変化していく可能性があります。

多くの場合は、家族構成員それぞれがどんな選択をして、どんな風に関わるか、自分の意思で決断することができます。そして、誰にでも自分にとっての「家族」を自由に考える権利があると、私は考えます。



冬木 更紗(ふゆき さらさ)
心理学学位および臨床心理学専攻修士取得。療育センターにて就学前の子どもを対象に応用行動分析に基づくグループ指導経験あり。臨床心理士および公認心理師取得後,精神科・心療内科にてカウンセリングを行なっている。また、WAIS-IV知能検査やエゴグラムなどの心理検査も実施経験が豊富。

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執筆:冬木 更紗
編集:メザニン広報室

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