正しい道具を使って、正しい方法で練習をする。

もともと髪の毛のくせが強いこともあって、それをなんとかうまく撫でつける方法だけはこれまでの人生で培ってきたつもりだった。

引っ越してからというのも、お気に入りの美容院を探している。

家から駅までの道のり、大通りから1本入ったところにある小さなお店に次は行こうと決めていた。
 
 

かなり昔からその場所にお店をかまえていただろうと思われるそこは、気をつけて歩かないと見つからないほど街の景色に溶け込んでいる。

中を覗くと古臭いながらに内装やインテリアに寡黙な美意識が感じられた。

 
 

予約をした時間通りに店に着くと、意外にも30代くらいの髪の短い男性が迎えてくれた。

いただいた名刺には「店長」と書かれていた。

簡単に要望を伝えたあと、椅子に通された僕の後ろに立った彼は、櫛で髪をとくことから取り掛かっていた。

「少し髪にくせがありますね。」

と独り言のように言う彼に

「そうなんです。全く言うことを聞かないほどではないんですが。」

と返した。

 

何かを見定めるように少し沈黙してから、彼は僕の髪にはさみを入れはじめた。

 
 
 

カットも終盤を迎えて、切った毛をドライヤーで飛ばしてもらっている時に彼が話し出した。

「さっきの話ですが」

「このくらいのくせ毛でしたら、ブローだけでも十分扱えますよ。」

と言い、ロールブラシを取り出しながら髪を手ですくった。

そこにドライヤーを当てながらすっとブラシを通すと

本当に魔法でも使ったかのように髪が真っすぐに伸びきった。

その迷いのない手さばきに心底驚いた僕は

「すごいですね、自分のいつもやってる方法ではここまではできませんでした。」

ドライヤーの音にかき消されない音量でそう言うと

「正しい道具を使って、正しい方法で練習をすればむずかしいことではないんです。どちらかが欠けてしまうとできないかもしれませんが。」

と、同じ音量で返事をしてくれた。

「正しい道具を使って、正しい方法で練習をする。」

僕は心の中でそう唱えながら、会計を終えた帰り道でシャツのアイロンがけを思い返していた。

ヨークというシャツの肩の部分、そこを綺麗にアイロンがけするにはまずアイロン台の端を利用して肩部分をひっかけ、襟を立てて平らにならした後、前身頃、後ろ身頃と2回にわけてかける。

そして襟と肩の付け根の細い部分にも届くよう、先に向かって尖ったアイロンを使わないといけない。

これはたしか大学生の頃に雑誌で読んでから続けている方法で、その条件のどれかが欠けてしまうとシャツに気持ち良くアイロンをかけることができない。

間違った道具、間違った方法ではどれだけ練習をしたとしても、正しい道具と正しい方法で練習をした人にはかなわない。

それがたとえ自分の仕事や趣味に関係しないことであっても、できるだけ正しい道具と方法で何事にも取り組みたい。

自分の持ち物を一度見直そう、と、すっきりした頭で家に着いた僕は部屋の掃除を始めた。

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