ハレとケ。


日本の伝統的な世界観のひとつに「ハレとケ」というのがある。ハレ(晴れ、霽れ)は儀式や祭り、年間行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を、それぞれあらわしている。


たまたま降りた駅の前で、小さな祭りがやっていた。といっても、仮設のステージに祭壇をつくって、そのまわりをフランクフルトやかき氷を売る露店が囲ったような、こじんまりとしたものだ。それでも、ちかくに住んでいるであろう家族づれなどが集まり、秋晴れの日差しとあいまって、それなりの活気を感じた。

駅前という「ケ」の場所に、仮設のステージと祭壇、少しの露店がならぶだけでそこが「ハレ」の場所に変わる。そして祭りが終わると、そこは最初からなにもなかったかのように「ケ」の場所として、また日常を過ごしていく。

「なかったはずのものがある。」「あったはずのものがなくなる。」そういう刹那的な感覚が、好きだと思う。


それは「流行」にもおなじようなことが言えるかもしれない。あれだけ流行った服、お笑いのネタ、言葉、モノ。そういった物事が、来年にはほとんどのひとに忘れられていく。

ある一瞬に、圧倒的な熱量で楽しまれ、面白がられ、消費されて、そして消えていく。ひとは飽きたらずに次の流行を求めていく。

「なかったはずのものがある。」から流行るのかもしれない。「あったはずのものがなくなる。」から流行るのかもしれない。だから僕は、流行が好きなミーハーなのかもしれない。


大通りから脇道にはいって、しばらく歩いていると、どうやって生計を立てているのかわからないような古めかしいブティックが突如あらわれた。

ショーウィンドウに並んだきらびやかなレディスの洋服を横目にみながら、そんなことを考えていた。



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