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誰かの成長に責任を持ったことがない

先日新入社員が同じ部署に配属されてきた。初々しく元気いっぱいの女の子。チューターには私の後輩にあたる2年目の女の子が付いた。毎日自分の営業に同行させ、一生懸命かつ楽しそうに面倒をみている様子にとても関心する。

思えば営業を始めて7年目になるけれど、私はこれまでチューターとして後輩の面倒を見たことが一度もない。そもそも、自分より下の後輩を持つことを初めて経験したのは5年目の時だった。
昔から所属する営業所はベテラン揃いで、私は長らく一番若手のポジションにいた。周りの同年代と比べても、それはかなりレアなケースだった。しかも初めてできたその後輩は2年目の男の子だったけれど、彼が1年目の時にチューターだった別の先輩が彼と一緒に私のいる営業所に異動してきたので、改まって私が面倒をみることもなかった。
もちろん、彼が迷ったり悩んでいたりする時は私なりにアドバイスはするものの、それはあくまで私の考えであり、自分自身でよく考えることと、チューターである先輩や上司の意見を仰ぐことを都度伝えていた。
つまり、私は後輩の育成にわかりやすく責任を持ったことがない。

この春東京へ異動し、配属された今の部署には新入社員を含め3人の後輩がいる。こんなに若々しい環境は初めてで、正直この中で自分がどういう立ち位置にいるべきなのか、時々戸惑うことがある。我ながら情けない。

仕事の上で、自分1人のことはもうある程度できる年次になっている。なのに最近自分の成長に頭打ち感がどうしても否めなかった。
それがどうしてかよくわからなかったけれど、一生懸命自分の言葉で新入社員を指導する後輩を見て、ああ、こういう経験を私は今までしたことがないんだなと思った。
自分が学んだことを少しでもわかりやすく後輩に伝える努力や、メンタルへの配慮、教えながらも自分で考えさせるためにはどうすればいいか、自分自身が必死に考えること。
私がまだ経験していないことに向き合う後輩をなんだか羨ましく思った。頭打ち感は多分これだ。自分のことだけできてもだめなんだよな、と改めて気付く。

自分から避けてきたわけではもちろんないけれど、積極的に自分が指導に関わろうとすることもこれまでなかったかもしれない。
だけど「頭打ち感」を感じている今、成長という言葉は少し恥ずかしいけれど、これからの自分への期待はまだ持っていたい。

だからと言って一生懸命な2年目の後輩の役割を取る気は全くないし、彼女の頑張りを応援したい。だけど、もしも彼女が後輩への指導に迷ったり困った時は私も一緒になってどうするべきか考えたい。その時に彼女が私に相談したいと思ってくれる環境や日々の関わり方を改めて考えて実践しようと思う。

明日ももっとがんばります。


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