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【エッセイ】いつも「普通」を探してた

朝、エスカレーターで
横レーンを制服姿の女の子が通り越していった。
スカートはクルクルと折られていて。
形が歪んでしまったスカートは少し不格好だ。
何重か折っているのか、その丈はかなり短い。

こんな時代もあったなぁ。
女子高生。JK。
あの頃の私たちは最強で、
なんだかなんでも出来る気がしていたような。

LJKからもう何年経ってしまったんだろう。
あ、もうこの言葉自体が死語だったりするの?

まだまだ自分は若いと思っていたけど、
制服姿の学生たちをみてしまうとやはり違う。

なんか、若い。

電車内で、カフェの店内で、街中で、
楽しそうに会話する学生たちをみると
変に冷めた目でみてしまう自分がいる。

その自分の妙な落ち着きぶりに、
良くも悪くも自分の過ごした年月を
感じてしまうのだ。


別に、制服姿の女の子を見かけることぐらい
そこまで珍しい光景ではない。
でもなぜか今日は目に入ってきた。
なぜだろう?

夏場でベストもガーディガンも着ておらず、
折り目を隠せるものがなかったからかもしれない。
何重にも折ったそれが目に入ってしまったのだ。

私にもこんな時代があったなぁ。
どれだけ丈を短くできるか、みたいな。
まあそこまで短くしたことはなかったが。

今となっては足首から測った方が早そうな
丈のものばかり選ぶようになったが、
花の高校生時代は短さに憧れることもあった。

高校生という大きいようで小さな組織。
丈を短くしないと、その組織の中で認めてもらえないように感じていた。
"普通の高校生"なら、ちょっと短くするよね。
そんな感覚。

今となってはなんであんなことしていたんだろうと思うけど、あの頃は周りと合わせられない方が怖かった。

でも、やたらと足はスースーするし。
リュックを背負うと
どんどん上がっていってしまうスカートを
気にするのもめんどくさいし。

短くていいことなんて、
私にとってはなかった気がする。

"周りと同じことをしている"
ただそれだけ。


今だって考え方はたいして変わらない。
スカート丈は多少長くなったのかもしれないが、
今だってずっとこの年齢の中での
"普通"を探しながら生きている。

やっぱり考え方とか性格は
何年経ってもそれほど変わらないのかもしれない。


奇抜なことはしたくない。
目立ちたくない。
普通に、平凡に生きていたい。

でもそう思う反面、
だれかに認められたい、
注目されてみたいって
承認欲求がでてくる時もある。

なんなんだろうね。
この相対する気持ち。


目立ちたくなくて、
国語の音読の時間の前には間違えないように
ルビを振っていた。
ちっちゃい文字で、本文の横にコソコソと。

先生にタメ口で話せるクラスメイトが
羨ましかった。

なんとなーく波長が合いそうな子を
何十人もいるクラスメイトの中から
見つけ出して仲良くなって。

ちょっと自分よりもカースト上位の子に
話しかけられるもんなら少し緊張して。

懐かしいなぁ。

嫌な思い出もあったのかもしれないが、
私の単純な頭はそんな記憶をきれいに
排除してくれているようで。
学生時代のことを思い出そうとすると
ほわん、と暖かい気持ちになる。



明日は学生時代から続く
腐れ縁の友人たちと会う日だ。
もう出会って10年を超える友人たちに
"普通"を演じなくなったのはいつだったか。

今日は思い出に
少し浸りたい気分だったのかもしれない。
制服姿の女の子がそんな気持ちを助長させてくれたような気がする。

帰り道にある夜の公園。
そこでベンチに座る2人の女子高生を見かけた。

わぁ、青春だ。
制服姿を見るだけでそう思ってしまう。

今日はよく制服が目に入る日だなぁ。

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