戦国時代の甲斐兵が強い理由

※調べてないし専門家でもないので、推測と妄想がたぶんに含まれます。

・生きる為に奪う人達の強さ

 別に調べるまでもなく、食料が不足してる国の兵は強いです。甲斐なんか特に人口も少なかっただろうから、下級武士(足軽)ではない徴発された農民、いわゆる雑兵が主力なんじゃないかな。足軽大将という身分はあったから雑兵を組織するのが足軽で、足軽大将以外の足軽は他国衆くらいで少数だったと思う。

 だとしたら雑兵が強いんだから、そりゃ強いよね。

 奪うために戦う事に慣れてるし、甲斐に至っては農民だけで食べるのは困難だからこそ乱妨取り(略奪行為。中国北方民族の収奪隊のようなもの)も産業の一つになってたんだろうし。ちなみに越後も乱妨取りの為に関東出兵してたくらいなので生きるための奪う戦に慣れてて、信濃の村上義清が強かった理由もこの辺りじゃないかと思ってます。

 チンギスハーンのモンゴル兵が食うために奪い合って殺し合ってたから異常に強かったのと似てる。甲斐も極めて少数の兵で強かっただろうから、モンゴル兵と色々な意味で似てる。

 あとは世界的に見て過酷な環境下で生きる兵や山岳地帯の兵は屈強で強いので、甲斐はそういう生物としての強さも大きかったんだと思います。あとは子供は躊躇なく殺すので現代も内乱地帯の少年兵とか非常に怖いそうです。なのでもしかしたら若い頃から奪い合う事に慣れてたとかもあるのかも。

・騎馬のみで組織された部隊はあったとしても少数

 武田というと騎馬隊だけど、武田騎馬隊なんて本当にあったのかな。全員が騎馬で戦闘する部隊があったとしても数十騎とかだと思う。木曽馬とか観るとわかるけど小柄だし、突撃はしてきたにしても実際は下馬して戦ってただろうし。百足衆とかが駆け回って伝令飛ばしまくってる辺りから、馬のイメージが強かったのではないかと推測してます。百足衆は伝令だけが仕事じゃないけど。

 ちなみに甲斐の強さは雑兵の強さとは別に、統率がとられてたのではないかと思ってます。それが用兵の巧みさに繋がってる。統率取られた屈強な山の男共が突撃してきたらそりゃー強い。

・長篠合戦

 これまた推測、というか全部推測なんだけど、長篠合戦も武田軍が闇雲に突撃していったから鉄砲狙い撃ちされたという辺りは大きく外れてないと思うけど、馬防柵とか堀や土塁が作られた軍に突撃していったら被害も大きくなるよね、という。更にいうと馬防柵も本当に馬防柵だったか謎で、単に武田軍の突撃を防ぐ為だろうし。

 そもそも馬は臆病な動物だから、柵に突進なんて絶対にしないし、銃どころか叫び声にも驚いて振り落とそうとしかねない。特殊な訓練とかしてたら別だろうけど。これは乗馬を習ってた子供の頃、ずっと思ってました。

 鉄砲ついでに思い出したけど、実際は三段撃ちみたいなのもなかったらしいし、雑賀衆みたく射撃手に次々と銃を渡してガンガン撃たせるような戦術はあったかも知れないけど、長篠合戦も鉄砲が主力だったという訳ではない気がする。


 

私腹を肥やさない感じです。