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2023年6月16日-21日のInstagramまとめ——「タコ」とどのように向かいあうべきか?

はじめに

こんにちは。文章らしい文章を投稿するのはこれが初めてです。今回は日頃活動しているInstagramについて。
さて、わたしはいつもinstagramに気になっている本を上げているのですが、最近はそれだけでは少し飽き足らなくなってきてnoteに飛び出してきた次第です。
現在、約2年5ヶ月にわたって毎日投稿しているのですが、だいたい「6投稿ひとくくり」で、あるコンセプトに基づいたかたちになるようにしています。ちなみに今回のテーマは「タコ」でした。

なぜタコなのか、という理由は単純で、7月に読書会でゴドフリー=スミス『タコの心身問題』を扱うことになっているからです。その予習として買い集めたものが多いなぁという印象です。

1.今週の6冊

以下に6投稿を列挙しておきます。
①ピーター・ゴドフリー=スミス『タコの心身問題——頭足類から考える意識の起源』(みすず書房、2018年)【原著2016年】。
②池田譲『タコの知性——その感覚と思考』(朝日新書、2020年)。
③池田譲『イカの心を探る——知の世界に生きる海の霊長類』(NHKブックス、2011年)。
④ロジェ・カイヨワ『蛸——想像の世界を支配する論理をさぐる』(青土社、2019年)【原著1973年】。
⑤ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心——コンピュータ・心・物理法則』(みすず書房、1994年)【原著1989年】。
⑥渡辺正峰『脳の意識 機械の意識——脳神経科学の挑戦』(中公新書、2017年)。

『タコの心身問題』読書会当日に言うためのネタがなくなるので(笑)、ここではそこまで洗練されたコメントをすることはできないのですが、ひとつ言うとすると、本書の読解で重要なのは、ただ単にタコについて考えるだけではなく、タコをつうじてヒトの意識についても考える必要があるということです。著者であるピーター・ゴドフリー=スミスは、みすず書房の著者紹介によると生物哲学、心の哲学、プラグマティズム」がご専門とのこと。つまりは、ざっくりいうと理系の生物学者というよりは文系の哲学者と捉えるべきでしょう。

2.「タコ」と近年の人文学・歴史学への接点を考える

近年の人文学は、『タコの心身問題』に見られるように、「人間を考えるために人間の外部を参照する」傾向があるように感じます。「意識」というテーマ自体は、それこそデカルトの時代をはじめ、それ以前にも哲学の世界ではポピュラーなテーマではありました。この人文学における伝統的テーマを、新たな視点や研究対象(とくに「理系」的なものが多い気がしますが)をつうじて研究するのがトレンドのようです。

非人間を扱う傾向は、歴史学においても伸長しています。たとえば、環境の歴史(environmental history)、モノの歴史(history of things)、そしてポストヒューマンの歴史(posthumanist history)等々、人間以外の存在をいわば反射板として、人間を捉え返す方法が取られています(このあたりについて詳しくは、Marek Tamm&Peter Burke eds. Debating New Approaches to History, Bloomsbury, 2018を参照)。もし歴史学でタコを軸にした研究をおこなったとすれば、「ポストヒューマンの歴史」あるいは「動物史」といった分野として分類されるように思います。そういえば、80-90年代に『思想史再考』『歴史と批評』等の翻訳で日本にも知られるようになった歴史理論家ドミニク・ラカプラも、近年は動物の歴史にかんする論考を多数発表しているようですね(近年のラカプラの動向についても気が向けばまた書きたいと思っています)。

この非人間への着目について、われわれが見過ごしてはならないのはやはりIT技術の発展だと思います。わかりやすい具体例を出すと、chatGPTや人工知能(AI)でしょうか。これらの「機械」もすでに、「非人間」の対象の一部として認められるのではないかと、個人的には思っています。なので、タコの参考文献として⑤『皇帝の新しい心』や⑥『脳の意識 機械の意識』もラインナップに加えています。人間とタコと機械は、つい最近までは全く関係のないものとして遠ざけれられていましたが、「意識」という観点で見れば同時に検討対象の土俵に上げられる時代になりました。今後人文学や歴史学がどのような方向に進展していくのか、注目していきたいところです。

3.専門と非専門の横断は難しいけれども必要である

さて、これまでの部分で近年の人文学ひいては歴史学に「人間を考えるために人間の外部を参照する」傾向があることを指摘しましたが、これには当然のことながら困難がつきまといます。まず言えるのが、「専門」と「非専門」の衝突です。現在のアカデミアでは、当然のことながら一定のプロセスに基づいた正しい知見=「専門」性が要求されますが、「外部」を取り入れるためにはどうしても「専門外」のことを参照しなければなりません。そうすると、専門性「正しさ」を保証しながら、かつ新しい分野の知見を恐れることなく取り入れていくことが必要があるということになります。

しかしそうすると、これには「間違ってしまう」リスクを含み込んでしまうことになりますし、また専門外に踏み出したとしてもかりに成果がなければ、ただ時間とお金を浪費するのみになってしまいます。また、自分たちの専門ではない部分に非専門家として関わっているスピリットや信念のようなものが必要なのですが、実際にはこれを保ち続けるのはとても難しい。学際性とはよく手放しで称賛されるのですが、意外と実行する段階においては困難がつきまとうものです。

ペンローズの『皇帝の新しい心』は、この「越境へのスピリット」や学際性の面白さを端的に披露してくれる本であるという印象です。いまの人文系のひとにこそ、こういった本を読む良さもあるのかなぁと思ったりもしました。ともすると自分の「専門」に閉じこもってしまうのですが、そこから一歩踏みだす態度を持ち続けていくことが必要なのかなと思われます。

おわりに

上記で扱いましたInstagramのアカウントはこちらです。上記6冊の詳しいキャプションについては、各投稿を見ていただきたいと思います。また気が向けば、noteを更新したいと思います!


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