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【流産で苦しい4つの感情】パートナーや友人、同僚が流産をした時、どういう対応ができるか?

今日は、私が”今現在”経験している「流産」というテーマについて、この現在進行形の状態で書こうと思うに至りました。冷静に書いているように見えるかもしれませんが、一言でいうと「闇」の中にいます。気持ちが入り混じってぐっちゃぐちゃですし、毎朝起きるたびに夢の中の方がよかったと落胆し、「流産という私に降りかかった現実」がお腹にあることを理解して、また一日が始まってしまった、と思う、そんな毎日です。

デリケートな話題ですし、私自身気持ちの浮き沈みが激しく、自分でコントロールできていないこともあり、私の言っていることが正解だよ、というスタンスは取るつもりはありません。でも、

この闇の中にある複雑にこんがらがった気持ちはどこから来ているの?

それを紐解くことができたら、自分の心を理解し、前に進めるんじゃないか、と藁をも掴む気持ちで書いています。なので、この記事には、感情的だったり矛盾していたり、理解できないこともあるかもしれません。でも、記事を公開することで、誰か1人でも「流産当事者の現在地」に少し触れる情報提供になっていればと願います。

流産怖い

私には、今6歳になる息子がいます。1人目である息子の妊娠は最初から最後まで流産に対する恐怖との戦いでした。切迫流産と診断され、常に生理のような出血をしており、悪阻(つわり)も相まって相当いい思い出がありません。

切迫流産とは、妊娠22週未満に、流産の可能性が通常より高い状態にあることをいいます。 主な症状は性器出血や腹部の張り、下腹部痛や腰痛などです。

妊娠初期、会社に伝える時期がわからず、妊娠を隠したまま山手線の満員電車に毎日乗って出勤していました。悪阻で一駅一駅下りながら休憩し、通常の倍の時間をかけて出勤する日もありました。ある雪の日、電車が雪の影響で止まります。満員電車の中、香水や汗や体臭が入り混じった匂いに頭がぼうっとし、鼻から血が出るような顔の火照りが悪阻を悪化させました。目が見えなくなり(意識が飛んだのでしょう)、気付いたら電車は止まっていて、私はホームに倒れていました。駅員さんに運んでいただき、温かい駅員室で意識が正常になった時にはスーツから血が漏れてしまっており、とっさに「流産した」と、血の気が引いてまた倒れそうになりました。幸い、大事には至らず、会社を休職してその時は養生するにとどまりましたが、出血の悪化と悪阻で健康状態がよくなく、帯状疱疹にまでなってしまったため、最終的には、入院が決定。とにかく、妊娠期間の10か月は検診の度「流産していたらどうしよう」「悪阻で流産しないだろうか」「帯状疱疹で流産になったりしないだろうか」という恐怖ばかりに囚われる毎日でした。

だから、妊娠したということで、周りから受ける祝福や自分自身に芽生える喜び等幸せなムードがあるのは事実ですが、一方で、妊婦の流産への恐怖や不安は一言では語り切れないものがあるのだと、知りました。

ファースト・インパクト(妊娠発覚~流産宣告まで)

初めての息子がこの世に生を受けてから6年。次の妊娠が発覚したのは、令和3年4月の16日でした。息子を出産後、この6年間次の子供ができれば来てくれると嬉しいと思いながらタイミングでの妊娠を期待してきました。なので、単純計算で5.5年(出産後半年を除く)×12か月=66回の生理で妊娠を期待してきた、と言えます。ここまで待つのであれば、不妊治療に進めばいいのに、なんて声が聞こえてきそうですが、今日現在、まだ不妊治療への一歩を踏み出せていません。ビビリなんですね。一方、これまで受精しなかったというわけではありません。化学流産をしたこともあります。

化学流産とは、受精はしても、その後着床が継続せず、妊娠に至らなかった状態のことです。

化学流産の際は、妊娠検査薬で陽性(つまり妊娠が確認できた)が出るため、思い切り舞い上がったのですが、その数週間後、産婦人科に行く前に生理が来てしまうようなイメージ。だからこそ、私は「産婦人科で心拍が見えるまでは、妊娠検査薬で陽性でも喜ばない」というマイルールを作って、妊娠への期待値をすごく下げるという自己防衛に走りました。ですから、今回、生理が遅れていると分かった時も、検査薬を買っている時も、実際に陽性反応が出て妊娠が発覚した時も、「ま、まだわからないよね」と自分に言い聞かせていたんです。

しかし、いざ産婦人科で大きくなっていく胎嚢や卵を見たり、一人目で経験済みのはずなのに全然慣れない悪阻に苦しみながら横になっているときや、眠りが浅くなって身体が明らかに赤ちゃんを迎える準備をしていると実感をしたりする中で、いけないいけないと思いつつも、抑えきれない期待がどんどん膨らんでいっていました。

心がじんわり温かくなるような、幸せな気持ちが体の中央に流れてくるような、穏やかででも満たされた気持ちを感じていたのです。

だから、子供の名前は何にしようか、どこの産院で産もうか、仕事の引き継ぎはいつしようかなんて、捕らぬ狸の皮算用もいいところですが、私のgoogle検索履歴は未来の赤ちゃんを迎えるわくわくでいっぱいになりました。確実に心が満たされていることを認めざるを得ませんでした。

しかし、9週目の診断で産婦人科の先生から一言。

「心拍がありませんね。手術しましょう」

母の日でした。

私はそれを聞いて心のなかで反射神経的につぶやきました。

「ほらやっぱり。だから、期待したらいけなかったのに。」

流産認定された子宮のエコー写真を受け取り、逃げるように診察室を後にしました。

家までの帰り道「まあ、無理かなと思っていたし」「私には一人子供がいるから十分だし」「まだ9週目だから遺伝子的に問題があったんだし」「キャリアが途絶えるのに不安あるし」と自分に言い聞かせました。

今から思い返すと”言い訳”したかったんだな、と思います。
とにかく流産に意味を見出したかった。この「流産宣告」というファーストインパクトは、自意識の中では、それなりに”自分はショックで慰めないといけない状態”だと認識できていました。しかし、このまま言い訳をし続けて逃げていたら、ショックは流れていくとも安易に考えていたのです。

その3日後くらいにセカンドインパクトが訪れました。今日の本題はここからです。

セカンド・インパクト(流産宣告後の1週間)

まず一番に襲ってきた感情が「喪失感」でした。前日まで、お腹の子供との未来の生活を楽しみに妄想し、悪阻でも腰痛でも喜びに変えるエネルギーがありました。保育園や小学校をどうしようか、どこに住もうか、どんな家の間取りにしようか、キャリアはどんなふうになるだろう、どんな兄弟関係になるだろう・・・そんな開かれた未来を遠くまで眺め、うっとりしていた最中に、突然足元から崖が崩れて転落し、深く寒く暗い永遠に続く穴の中に落ちていくイメージでした。

流産宣告前も傍から見たら地獄でしょう。だって、悪阻からくる気持ち悪さでいてもたってもいられず、とはいえ、寝られるわけでもなく、吐き気を抱えベッドにうずくまっている妊婦。でも、実際は、当の私はお腹をさすりながら「この子と一緒なら大丈夫♪」なんて微笑むことができるのですから、まあまあ天国とはいかないまでもいい景色を見ていることには近いんですよね。なのに、転落。そこからが本当の地獄。

そして、後追いを仕掛けてくる悪魔が耳でうるさく囁いてくるんです。

「あなたが未熟でダメな母親だから、赤ちゃん来たいなんて思えないんじゃないの?」

「あなたに期待されなかったから、心から望まれる家庭に行きたくなっちゃったんじゃないの?」

「母の日に流産なんて、母親失格っていう意味じゃない?」

この声が頭にヒソヒソと侵入してくると、喪失感が更に加速し、負のスパイラルを止めることができなくなってしまいます。さっきもお昼ご飯の前に急に涙が止まらなくなりました。その時は「なんで来てくれてありがとう、って何度も伝えきれなかったんだろう」という想いに支配されてしまいました。

遠方に住む母親にLINEで相談すると「産前産後鬱のような状態だと思った方がいい」と言われました。・・・確かに。もうこれは子宮をもって生まれ、ホルモンバランスに身体をコントロールされる運命を背負って生きている生命体である以上、ある程度この感情は致し方ないのでしょうか。

ちなみに、喪失感で泣いていても、体調不良が収まるわけではありません。私は今も悪阻(つわり)と腹痛、頻尿、下痢、腰痛、不眠、肌荒れ、浮腫み、悪寒などに悩まされています。

え?まだしんどいの?って思う方もいらっしゃるかもしれません、夫も、「流産の後にまだ体調が悪いって気付かない人は意外に多いかもしれない」と言っていました。「流産」と言う言葉を聞くと、体験したことない人は、赤ちゃんがいなくなるんだから悪阻もないでしょ、という方程式になってしまう方もいるかもしれない、と。確かに私も経験がないとそう思ってしまうかもしれません。

でも、実際は「死んだ赤ちゃんをおなかに抱えている」という喪失感の上にあらゆる体調不良が襲ってきます。流産後もお腹から胎児が出てくるまでは「妊婦」なんだな、と自分でも初めて自覚するような症状の数々。

私の場合、食べられない悪阻がメインですが、突然ラーメンが鬼のように食べたくなる(普段麺類は嫌いなのに)という天邪鬼が住んでいるので、急に要求するものが変わるのが周りの方からしたら難点でしょうね…。食べられないときは、ジンジャエールやレモン水だけ。食べれるときはラーメンかうどんか蕎麦といった麺類だけ。栄養偏ってます。

体調悪いと「病は気から」とはその通りで、また喪失感へ引き戻されます。体の疲労感や倦怠感は、赤ちゃんが生まれてこないことを自覚させるトリガーにもなるんです。このあたりから「しんどいのに、悲しいのに、辛いのに、なんなのこれ」といった感じで、感情がぐっちゃぐちゃになってきてしまいます。

サード・インパクト(摘出方法の選択)

更に現状を凌ぐだけでなく、未来への不安がやってきます。

それが、

(1)手術か自然流産かという選択を迫られる

流産とわかった際、担当医に聞かれました。

「手術をしますか?それとも、このまま自然流産を待ちますか?」

私の場合、頭が真っ白になっているときに決断なんてできませんでした。心にぽっかり穴が空いた状態で、そのメリット・デメリットや方法を聞かずに診察が終わってしまったため、そのまま帰路につくことに。その後、インターネット検索をして仰天。口コミやブログ、体験漫画等、何を見ても、手術は麻酔が効かずに死ぬかと思ったとか、自然流産は出産のように陣痛が来た、と言ったレポートがネット上にあふれていたのです。とにかく痛いのが嫌いな私。注射でさえ心の準備が相当必要なのに、ネット検索していると恐怖が増幅していく一方でした。こ・・・こ・わ・す・ぎ。だって、手術は前処置も痛いし、手術直前も痛いし、手術後も痛いし、って痛いとか、もう二度としたくないとかいう体験者の生の言葉が全てを物語っているんですよ・・・完全におじけづく私。なんで、こんなにメンタルも身体もボロボロなのに、こんな恐怖と痛みに耐えないといけないの?!このあたりから他責が始まります。特に夫へのイライラ。「なんで女性だけこんな目に会わないといけないの?!」と怒りを沸かせてみたり、「やめたい!女であることを今すぐ辞めたい!」と現実逃避をしてみたり、更にぐっちゃぐちゃに。

(2)再度の流産の恐れ

そして、もう一つの不安が「もう二度と妊娠できないんじゃないか」という不安。「女を辞めたい!」と言っていた割に、妊娠できないとなるのは悲しいんですね。矛盾する心がよく表れています。私は自然流産も経験していることもあり、「またダメだった」という挫折の気持ちが多く、手術か自然流産か決める判断材料に次の妊娠率を確認したいという気持ちが大きい状況です(まだどっちにするか決めていません)。

なのですが、インターネットで調べると、「私は1回流産をしましたが、その〇か月後にまた妊娠の機会に恵まれました」「私は2回流産経験があります」「私は3回」「私は4回」…みたいに様々な経験談があり、年齢的に3回も4回もできないし、また手術怖くて妊娠も怖い。と妊娠がしたいのかしたくないのか自分でもわからなくなってきました。「私も流産したよ」という方の意見は、実は私にとってあまり参考にならなかったのが、実際のところ。特に「そのあと子供ができたので、あなたも大丈夫」なんて言われようもんなら、そんなことわからないじゃないか、と急に距離感を感じ、誰もわかってくれない気持ちが生まれるんです。

もう一度、妊娠したい、でもまた流産は怖い。

この気持は誰にもわかってもらえる気がしませんでした。とにかく孤独で孤独で仕方がありません。正直、流産をしている本人の状況と全く同じ人なんてこの世に存在しないと言い切ってもいいと思います。だから、私のこのnote記事を読んでも、まったく共感しない流産経験者もいるはずです。

喪失感→体調不良からのメンタル悪化→今後への不安の中で、多くのインターネット上の経験者の方の話を拝読しました。流産経験者の友人にも話を聞いてみたりもしました。しかし、それでも孤独です。みんな乗り越えているから!切り替えていこうよ!なんて、言われても、全然響きません。これだけたくさんの感情を一気に抱えている中で、まったく同じ状況で共感しあえる人はいないと思うようになりました。

更には、夫や同僚、医師のちょっとした言葉に傷つき、心を閉ざしたい気持ちになったことも多々ありました。

「流産なんてよくあることだから」・・・だからって、納得できない

「気持ちを良い方に持っていくべきだよ」・・・無理です

「また戻ってきてくれるよ」・・・わかんないやん

もうただのひねくれの介ですね、私。でも真実、そんな言葉が出てくるくらい追い詰められているんだな、と、書きながら思います。誰も理解してくれない。だから、自分の強さや優しさで自分で乗り越えていくしかないんだ・・・そう思い始めてはいます。うじうじしてもメソメソしても、起こってしまった過去を嘆いても現実は変わらない。だからこそ、今じできることをしよう、と。そう思えたのは、周りのサポートのおかげだと思います。

流産で苦しい4つの感情・感覚

こうやって文字に起こしてみると、4つの感情が私を苦しめていたのだと気づきました。もちろん、この感情から逃げたり、無理やり押し込めようとしても、解決にはならないかもしれません。ただ、こうやって整理することで自分を少し理解できた気がしましたし、ぐっちゃぐちゃに絡んでいた感情が紐解けたことで、「あ、今不安なんだな」とか「孤独に感じているんだな」ともう一人の自分が自分をヨシヨシしてあげられるようになりました。

①喪失感

②体調不良からくる不快感

③今後への不安感

④孤独感

とはいえ、私は、まだジメジメした悲劇のヒロインのままです。ただ、少しずつ、休みながらも仕事をしたり、家族と時に笑えるような時間が増えてきたことも事実です。周りの優しさに救われるような、慰められるような瞬間もあります。だから、もし、あなたのパートナーや親しい人が「流産」に向き合わざるを得なくなってしまったとき、少し参考になるかもしれないと思い、次の章を書きたいと思います。

私がしてもらったうれしいこと

ここでは、私が嬉しかった誰かのやさしさについて、触れます。

■会社編

(1)休めと仕事を無理やり引きはがしてくれる

(2)毎朝の体調(身体・精神)確認とタスクの割り振り

私が流産の報告をした時に、上司や同僚が真っ先にやってくれたことです。私が当時気付いていなかった喪失感や体調不良を先回りして行動してくれたのだと思います。ありがたかったのは、これらをすべて「会社のパフォーマンスや効率化」の観点ではなく「仲間の人生をサポート」するという姿勢でやってくださったこと。実際私がすいませんと謝っていると「生きるために働くのに、働いて死にかけていたら意味ない」と、言ってくださいました。現職の上司・同僚には頭が下がります。

心配です、とか、大丈夫ですか?とか、いう声掛けよりも、物理的にカバーできる状況を整えてくださったことに救われました。頑張りたいところは頑張らせてもらえることがありがたかった。実際、仕事をしていたら悩む時間が減って、今日はメソメソしていないな、なんて日ありますから。

■友達編

(1)息子の送り迎えのサポート

(2)食事のサポート

「とにかく横になる時間が必要だよ!」とママ友や友人が家事と育児を助けてくれたことが本当にありがたかったです。息子の学校やお稽古の送り迎えを引き取ってもらったり、総菜やフルーツ、パンなどの食料品を買ってきて届けてくれたり・・・。痛みでキッチンに立つことさえ辛かった私には、持つべきものは友達だと改めて感じ、泣きそうになりました。

お陰で息子も私が家で横になっている状態でも寂しい思いをせず、むしろ友達と楽しい時間を過ごすことができたことにより、家庭に悲壮感が漂わずに済んだことも、救われたと感じました。人によっては逆に気を使ってしまうとかあると思うのですが、個人的には嬉しかったな。

■家族編

(1)悪阻や体調不良へのサポート

(2)家族からの大好き

現在、夫が料理も洗濯も掃除も息子の送り迎えも全部やってくれています。私は流産になる前から全く家事をしていません。夫のワンオペです。それでも、近所のコンビニをジンジャーエールを探し回ってくれたり、冷凍の焼きおにぎりをチンしてくれたり、息子の宿題を見てくれたり・・・それをやらないだけで、横になれているだけで、本当にありがたかったです。こちらも上司同様、まず私が横になれる環境を作るために物理的にカバーしてくれたことが一番助かりました。。。

母の日に分かった流産。自分が母親として否定されているようで、落ち込みました。一方で、息子が「お母さん、大好き」とくれた母の日のプレゼントを前に自分を母たらしめているのは、息子と夫のお陰だと感謝の気持ちがわいたのも事実です。流産に原因も意味もないのかもしれません。でも、もしかしたら、あまりにも自己中な私に家族への感謝の気持ちを思い出させることが、必要だったのかもしれないな、と納得もしています。

パートナーや友人、同僚が流産した方へ

今日は思いのたけをぶつけるような形でとりとめもなく書きました。全然綺麗ごとで納めることもできず、乱雑な稚拙な文章をここまでお読みいただき、ありがとうございます。正直、ここまで書いていても尚、他の流産した人の気持ちを100%代弁できているかというと、そうではないと言い切れます。子供がいない方や主婦業に努めている方、フリーランスの方、離婚調停中の方など、私が想像できないところでの感情をお持ちであることは間違いないのですから。ただ、本人も矛盾した気持ちを抱えていたりとか、ごちゃごちゃになっていて何が苦しいのかがわかっていなかったりということはあるんだろうなと思っていただけると、少しはこの記事も報われるのかなと思います。

私の記事が全てではないということを理解しながらも、当事者の気持ちや行動に寄り添えるようなことをしていただけると嬉しいなということを表明させていただくことで、誰かが誰かの辛さを思いやり、和らげるような世界の一助になればと思っています。

同じく、流産を経験した方へ

それから、もし、同じ「流産」という経験をした方がこの記事を読んでくださっている場合。本当に耐えがたい苦しみや辛さに打ちのめされそうになっていると思います。私よりもあなたの方が辛いのかもしれません。その中で、その辛さを意外に周りは分かっていないのだな、ということを認識できるといいなと思います。あなたの痛みや苦しみはあなたしかわからない。だから、この状況をよくするのも、自分でしかないのだと。だからこそ、伝えよう。声に出して、現状の状態ややってほしいことを伝えることが大事なのかな、と思います。自分一人で解決できることよりも誰かと解決できることの方が大きいはず。それくらい、この世界は優しいのだと思えるような世の中にしたいなと思っています。あなたの周りには、きっとやさしさの手を差し伸べてくださる方がいるはずだと信じています。それは、家族や友達や先生、同僚、お医者さん、カウンセラーの方…かもしれません。

今、私はまだ手術もしていませんし、お腹にもう生まれてこない子供を抱えているという感覚を常に持ちながら、日々を過ごしています。もしかしたら、手術後、数か月後、数年後で感覚は変わるかもしれません。だからこそ、今残しておきたかった。

辛いです。今、しんどいし、背中の痛みや腹痛で思考停止しそうです。でも、自分を信じようと思っています。それに、私はこの記事を書くだけで「これを読んでくれる人が一人でも共感してくれるかもしれない。」って少し孤独が癒されているのも事実。書いてよかったなと思います。

先日、母の日に自分の母親に紫陽花を送りました。紫陽花を見ていると、小さな花が集まって咲いています。自分もこんな風に世界に一つだけの花に囲まれて支えられながら生きているんだと思うんです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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