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【エッセイ】私と推し活②

前回の続きになります。
前編記事はこちら。

さて、昨日の記事では、私がいかにして推し活の扉を開いたかついてざっくり説明した。

その中での初めての気づきや、新しく得た自己理解、今の自分への影響などについて今回は書いてみたいと思う。

前回同様、ゆるりと好きなことについて好きなように書き散らしているので、お時間のあるときの暇つぶしにでも。
ではいざ。

「応援すること」とリンクする過去

前回から再三述べているが、私は「推し」という概念を理解しないまま生きてきた。そのため、そもそも推し方(応援の仕方とでもいうべきか)もよく分かってはいなかった。

ただ、がむしゃらに頑張る若者の姿に胸を打たれた経験なら、これまでの人生で幾度もある。

それがまさに、教壇に立っていたときずっとずっと見てきた教え子たちの姿だ。

「高校」という空間の中では、日々が本当に目まぐるしい速度で、そして怒涛の変化をしながら過ぎていく。

今改めて自分の過去を振り返ると、さながら推し活のようなことをしてきたように感じるのだ。

いわゆる推しにあたるのは、自分が関わる生徒たち。彼らの年齢は、もちろん同年代。体育祭や文化祭というイベントを挟み、クラス単位で何とかまとまりながら過ごす。しかも卒業までという期間限定の活動──。

泣いたり笑ったり怒ったり、寝たり騒いだり文句を言ったりする姿を見て、私自身も一喜一憂する。
どんなときでも、根底にあるのは、「応援する」「サポートする」という想い。もちろん、それら以上のものはあるけれども。

さらにいうと、私が国語教員になってしてきたことは、推し活界隈の言葉でいうなら「布教」のようなことだったことにも気がつく。

私、ずっと国語が好きだったんです。
昔からずっと面白いと思っていたんです。
その面白さを、生徒たちに少しでも伝えたくて、自分が感じている魅力を語りたくて、その一心で教壇に立っていた部分があるんです。

結果として、「好きを語ること」を、私は体現してきたつもりだ。

そう言ったことを踏まえて考えると、「私」という人間は元々それなりに「推し活」と親和性が高かったのだろう。

こんな言い方をしては身も蓋もないが、きっと対象は誰でもよかった。

今回、たまたま「本来の推し活」という意味で、行動の起爆スイッチを押したのが、ドラマ派生の期間限定ボーイズグループだったのだ。

ダンスのことはよくわからないけど、自分にできないことができる人はもうみんな尊敬に値する…!


音楽が持つパワー

何を置いても、8LOOMに関しては本当に「音楽」が強かったと思う。

リアルに活動するとはいえ、いちドラマの中のグループなのに5曲もオリジナル曲をもらい、プロに囲まれて歌って踊って、観る人間を大いに魅了した。

どの楽曲も、本当に一線で活躍している人が生み出したもの。ダンスも、しっかりプロが振り付けをして、俗な話にはなるけれど、お金をかけて作られていた。

元々音楽そのものが好きな人間には、聞きやすくて刺さる楽曲だらけだった。

TikTokなどでよく聞かれたのは、「Melody」だろうか?

錚々たるメンツと仕事をしてきているUTAさんの作曲。コレオはメンバーとほぼ同世代で、いろんなアーティストさんと活躍しているReiNaさん。

もう、制作からガチすぎる。
そういったことも、少し調べると分かってきて面白く感じた。

何なら、ドラマが終わってからの活躍も目ざましい。私でも聴いたことのあるグループと、続々仕事をして活躍の場を広げていて、すごい人たちだなと見ている。

これらの音楽があったからこそ、私は彼らを知り、大いに惹かれることになった。
音楽は、いつも私に近い。いい音楽は、良い。


ドラマ自体も楽曲も何もかも、時期的に世の中がちょうどコロナ禍真っ只中だった頃に作られていた。

8LOOMのメンバーの中には、自身がボーイズグループにすでに属しているものの、デビューして以降の活動がコロナ禍に飲まれてしまい、日の目を見るチャンスを得られていない子もいた。

ソロアーティストとして世に出たものの、同じくチャンスをコロナに喰われてしまった子もいた。

感受性のアンテナが過敏すぎる私には、もうその事実も刺さるわけなんです。

この子、今8LOOMとして光を浴びているけれど、自分のグループではまだそんなに大きな舞台に立てていない。一体どんな気持ちで歌っているんだろう…。
あの子は、ここでの経験をそのまま活かして、新規ファンを上手に連れて、もといた場所に帰って行けたらいいねえ…。

そういうことに感情移入するようになったときに、「ああこれが推しなのかもしれない」と思った。このときようやく私は、「推し」という概念のカケラを理解した。

去年の今頃、ドラマが始まろうとしていたっけな楽しかったなあとエモい気分になりながら、今もそれぞれに活躍している彼らをのんびり見守っている。

この見守るところまで含めて、やはり教員時代の記憶がリンクしてくる…。


大きなきっかけをもらう

長々と、いろんなことを語ってきたのだが、何ゆえ過去の話を踏まえたかったのかというと、前回の最後に少し触れたことが本当に大きい。

言葉通り、私は推しに引っ張ってもらって、外に出る機会を増やすことができた。これが、今思うと本当にありがたいことだったのだ。

昨年11月末、大阪から旅行に来ていた教え子に会った。場所は新宿。

自分の心身のことを明かしてはいなかったから、とりあえず自分が行きやすいところを指定させてもらって、その場は乗りきる。

まだ、言える心境になかった。
相手の近況を聞き、いろいろ自分の近況を話す中で、観ているドラマの話になって、私は「君の花になる」を挙げた気がする。

いろいろ話をして、別れ際に「そういえば途中、君花の展示みたいなのあったよ」と教え子に知らされて、ふうんと思ってとりあえず写真だけ撮った。せっかく教えてもらったし、くらいのテンションだった。

その時点では、私はまだ「ドラマを肩肘ついて眺めている」くらいのものだったんですよね。

性根の歪んだ、偏屈な人間なので楽しそうなコンテンツを許容するまで時間がかかるという厄介さ…。年々、軟化しているとは思うのだけれども。

11月末に、教え子と会ったときに撮った一枚。
教えてくれてありがとう…!


そこから、ドラマというより、8LOOMの魅力に気がついて12月。どハマりして楽しんでいた頃、渋谷で展示があると知る。

渋谷なら、何年も前だけど友人と行ったことがある。駅の記憶もまだある、想像がつく。大丈夫、行ける。

不安はあれど、行きたいという気持ちに従って外に出る気になった。

一人で二回分チケットを買った。
そんなことをしたのは初めてだった。

一人で、行ってみる。
用事が済んだらトンボ帰り状態ではあったけれど、何はともあれ「行けた」という実績が、できた──。

そういうことを経て、私はじわじわ外に出て行った。

外に出る勇気を、きっかけを彼らにもらったのだ。


自分の中での大きな分岐点

そして迎えた、8LOOM最後のイベント。

まさかのファンミーティング、大ラス12/27のチケットを得ることができた。

このとき私は、いろいろしんどくなって以降、初めて「行ったことのないそこそこ遠い場所」へ一人で行く機会を得ることになった。

緊張のあまり、前日から盛大に体調を崩し、腹痛で寝込む。完全に「推しに会えるから」とかではなく、移動の不安が勝っていた。

どんな状態だ!と、なりつつも、私は仕事中にも緊張で体調を崩した経験が多数ある。繊細すぎるのだ、訳のわからないところで。

そんなこんなで当日。

胃薬を飲み、ウィダーインゼリーを何とか口にする。そして何十回も調べた「最大限乗換の少ない電車」に乗り、現地に向かった。

せっかくチケットが得られたということもあるけれど、ただただ何かを変えたかった。ジタバタしていた時期の、一つの通過点にしたかった。

どうしても行きたかった。

一人で行けた、自信に繋がった。
何よりもいい記念になった。

ドキドキしたまま、浅い呼吸で会場の最寄駅に辿り着き、寒さに身を縮ませながら開場を待って入る。

蓋を開けると、何と前から一桁台の席で、双眼鏡など持たない私でも、裸眼で存分に彼らのご尊顔を拝むことができた。たいそうな。

画面の中にいた人たちが、目の前にいる不思議ってこういうことか…!と、言葉にできない感覚を味わった。

私がよく行っていた、音楽メインのライブは結局「音」ありきのものばかりだったから、最悪姿がそんなに見えなくても楽しめるものばかりだった。
そりゃもちろんアーティストを見ることができた方がテンションは上がる。でも、その場を共有して声を出したり飛んだりする喜びだけでもわりと満足できた。

形を変えたら、こういうスタイルのライブもあるんだなと勉強になった。どんなときでも、自分を客観視する癖は抜けない。

本当に目と鼻の先で、ここまで元気をもらって応援してきた子たちが、話して笑って歌って踊る、不思議。

みんなびっくりするくらい細くて、顔が小さくて華奢だった。芸能人ってすごい…。と月並みな感想を抱いたことを、よく覚えている。

帰り際、すっかり腹痛もなく「楽しかったな」という気持ちだけを抱えて電車に乗った。
また一つ、何かを乗り越えられた気がして、ものすごくホッとしたし嬉しかった。

このようにして私は、「推し活」に、大きく背を押されたのだ。


さいごに

ドラマが終わって以降、8LOOMのメンバーは、それぞれ自分の活動していた世界へと帰り、ライブをしたりドラマに出たりと活躍している。

ドラマ好きで過去のドラマに関する記事を読んだ人は、ここまで私が観てきたドラマには、高橋文哉くん・綱啓永くん・山下幸輝くん・宮世琉弥くんが出ていたことに気づいたかもしれない。
完走できなかったので書くには至らなかったが、森愁斗くんのドラマも触りだけ見た。

8月末には、アーティスト組の八村倫太郎くんが所属するグループ、WATWINGのライブにも行ったし、これからも彼らの音楽はゆるく追い続けると思う。

パシフィコ横浜に一人で行けたのも、嬉しかった。行ける場所が増えたと、自信に繋がった。

NOAくんは機会がなかったけど、今後ものんびりYouTubeでその音楽は追う気がする。私は元々tofubeatsの音楽が結構好きなのだ…!

──いま彼らに関して、つぶさに情報を追うような熱量はないし、お茶の間から応援する気持ち以上のものはほぼない。それでも、ただただ眩しいなあと思う。テレビなどで見かけると手が止まる。

この先も、みんなそれぞれ頑張って欲しい。本当に。


それぞれ頑張る姿を見て、「自分も頑張ろう」と思えるような存在は、みんな「推し」になり得るのだろう。

私の場合、興味関心の先は音楽と共に移り行く。

このようにして私は、8LOOMで「推し」の概念を理解した。
今はまた「この人かっこいいなあ!」から始まって、「この音楽いいなあ!」の道をたどり、別な新しい推しを見つけて楽しんでいる。

自分の人生のスパイスのように、「推し」を愛でる楽しさを知れたことは、本当に大きな体験となった。

小規模かつ非公開のアカウントで、主に公式の情報を眺めながら、推しを通じて知り合ったごく僅かな友人とSNSも楽しんでいる今。

これ以上なく満たされているし、自分も推したちに負けずに、無理のない範囲で「いま」を一生懸命駆け抜けたいと思っている。


\結論:推しは、尊い。/


そういうこと!

思ったよりも長くなってしまった!
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

おしまい

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