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【思考】ハマったものについて語る

はじめに

自分が人生で一番「ハマったもの」はなんだろうか。
改めてよく考えてみたら、私が考える人生で一番ハマったものは「教師という仕事」そのものな気がしてきた。

仕事にハマるなんてありがたいこと極まりない…一体どういうことなのか。もうただただ言葉のまま、私は教師という仕事に、24時間365日どハマりした時期が間違いなくあった。言葉にならないくらい大変ではあったが、いま落ち着いて振り返ると本当に楽しかったし充実していた。

自分よりも少しだけ後ろを生きている者たちに、自分の持ち得る限りの知識や経験を語る。そして自分が面白いと思ったことを全力で伝え、彼ら自身が興味を持てるものを一緒に探すーー。
それが、私がどハマりした仕事の実情だ。

ハマるきっかけ

ここまで過去記事も含め、明言してこなかったが私は「高校」で国語を教えていた。高校生は「まだ子ども」な部分もあり、それでいて「もう大人」と括られる部分もある。
その子どもと大人の狭間を行ったり来たりしながら、全力で日々を駆け抜ける…非常に危うくて忙しくて、繊細で賑やかで悩ましいイキモノ、それが私の見てきた「高校生」だった。かつてその狭間で私自身、少々苦しんだクチだったので、その「かつての自分」を決して忘れまいと誓い日々教壇に立っていた。

何に不満を持ち、何に親近感を抱き信頼を寄せたか。何が大変で何に悩み、どんな言葉や支えを求めていたか…。個人差はあれど、我々大人もかつては間違いなく高校生の時期を生きてきた。折に触れて、その過去へときどき立ち返りながら、日々激動の時間を生きる高校生と向き合ったのである。

実際、私は教壇上で多くのことを生徒たちに語ってきた。それらがどれだけ彼らの心に残っているかは定かでない。大人の言葉なんて100、いや1000伝えて、1でも残れば万々歳というものだと思っている。その「彼らの中に残った1」に触れた瞬間、私は教師という仕事の沼に落ちた。

彼らの中に残った1

高校生活には、明確な区切りがある。終業式(1年間の締めくくり)と卒業式(高校生活の締めくくり)がそれだ。そのタイミングで、「先生にそう言われた」「あのときこう言ってくれた」と過去の自分を見せてもらえることがあった。

特に授業における「区切り」のタイミングで、私はよく独自のアンケートなるものを取った。アンケート内容は実に単純で、「印象に残っている授業内容」と「私に一言」だけ。特にないならないと書いていいと伝えて、最後の授業で20分ほど時間を取り、本当に自由に書いてもらった。空欄の子もいたし、一言の子もいた。裏面に至るくらいメッセージを書いてくれた子も、いた。

「『こころ』が難しかった」「漢文はパズルみたいで楽しかった」「舞姫の話をするとき、先生が劇みたいにしてて面白かった」「声がデカくて眠らずに済んだ」「板書がはやくて大変だった」…直接授業に関わることで、さまざまな言葉を受け取った。
「休み時間に話せて楽しかった」「〜を褒めてくれたの嬉しかった」「顔見たらいつも声かけてくれてありがとう」…それ以外の範囲のことを、書いてくれる子もいた。

それら「彼らの中に残った1」を目の当たりにすることが、私にとって大きなやり甲斐となった。

放っておいたら、多分とめどなく語れる。
それくらい私は教師という仕事が好きで、誇りを持っていた。そして、ここまでいろいろ述べて改めて気がついたが、私は何より、「教師をしている自分」も好きだったのだと思う。

好きのちから

過去記事でも書いたことがあるが、「好きのちから」はすごい。

「下手の横好き」なんて言葉もあるけれど、私は「好きこそものの上手なれ」派だ。
好きだから頑張れる、好きだから何度でも繰り返せる。それを重ねているうちに、よりいっそう、その好きなものを好きになれる。できるようになると、得意だと思えるようになる。そしてさらに好きになって…。もちろん、好きなのに上手くできないとか、好きだけど繰り返しすぎて嫌になるなんてことも、ないとは言えない。

それでも、何かが上達するときに一番瞬発力があって、継続的な行動力の源になり得るのは、「好き」のちからだと思う。「好き」は偉大なのだ。

年を重ねるごとに、この「好き」に新しく気付く余裕がなくなったり、感性のアンテナが鈍って気付けなくなったりする。ずっと好きなものがあるとしても、「好き」が惰性になってしまうこともあるだろう。昔から好きなものを、多少の振り幅はあったとしても、何年も何十年も好きでいる熱量を持ち続けられるのは、もはや才能と言ってもいいとすら思う。
やはり、「好き」は偉大だ。
2022/12/19 の自分のnote記事「好きのちから」より


「好きこそものの上手なれ」派の私だからこそ、好きであればあるほど楽しめたし、大変なことも乗り越えられた。多少理不尽なことがあっても、今をよりよくするには…なんて向上心も持ち続けていられたし、多少の無理もわりと望んでできた部分があると思う。
それらの結果、生徒たちに「1」を残すことができたのだとしたら、これ以上ありがたいことはない。その「1」に私は何度も救われ、支えられた。Win-Winの関係すぎる。

いろいろ事情があって、私は結局教壇を離れはしたものの、それでもやはり「教師という仕事」は好きだったなと胸を張って言える。何なら天職だったのかなあとも、思う。
今は今で別な道をみつめているが、「教師という仕事」の沼は充分知っている。どれだけ大変なものだとわかっていてもなお、「好き」はブレない。
やはり、「好き」は偉大なのだ!

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