【日記】お気に入りが壊れた日
昨夜、ずっと身につけていたピンキーリングが壊れた。
壊れたというか…折れた?非常にショックを受けて、一日しょんぼりしていた。
この指輪、ずーっと前に一人旅で島根県に行ったときに自分の背中を押すべく買ったものだった。シルバー一色の作りというシンプルさで、それでも土地にあやかって「良いご縁がありますように」と結ぶモチーフの物を選んだ。決して、そんなに高価なものではなかったと思う。
買った場所は、八重垣神社の近くの売店だったような気がする。曖昧な記憶…。カメラロールをあさったら、この画像が出てきたから多分あっているはず。
このときの旅行は実は、それなりに長く付き合っていた人と別れた後の傷心旅行だった。気持ちを切り替えるべく、髪の毛をバッサリ切り(私にはこういう昭和なところがある)、一人で新しい縁を見つけるために島根に行った。
玉造温泉らへんに泊まって、いろいろ満喫して、別日に八重垣神社へ行きそのまま何故か歩いて松江城まで行った。距離にして7kmないほど、時間にして2時間はかからないくらいだっただろうか。
今でもよく覚えている。小雨の中、大きめのリュックを背負いてくてくと歩いた道…なかなか大変だった
それ以降、何となくお守りがわりにずっとつけてきた。水仕事をするときも、もういいやとつけっぱなしにしていたのがよく無かったのだろうな…。
そんな思い出深い指輪、画像を撮った日付を確認したらもう8年前のことだった。
8年かあ…そりゃ折れちゃうこともあるか…。
むしろここまでよく持ったと思うべきか。機会があればもう一度同じものを書い直したいくらいだけど難しいかなあなんて思いつつ。
不安なとき、右手の小指を触るのが少しクセになってた時期があった。お風呂のときは外して、出るときにつける習慣があったのだけど、たまにつけ忘れて「無くした?!」と騒ぐこともあった。
何かを持って手元を撮るとき、ピンキーリングがちらりと見える感じが好きだった。
お守りがわりにしていたものが、壊れたり無くなったりするとき、「何かの身代わりになってくれた」とか「何かの難を逃れるためだった」とか、一種の言い聞かせのようなものを聞いたことはないだろうか。
私はまさに、そういうことを思うタイプだ!
そうでもないと、しょんぼりから立ち直るのに時間がかかるタイプなので、いつもそう思うようにしている。今回もそう思うことにした。
自分や、あるいは自分の周りに何か起きようとした、良くないことを肩代わりしてくれたのだ。…きっと。
一応、自分自身の周りを確認してから、周囲の家族や最近連絡を取っていた心当たりのある友人に、日常に変わりはないか連絡を取ることにした。
そういう機会を与えるために、今回の「損失」はあったのかもしれない…。
いかにも、私はそういう人間なのだ。苦笑
可能なら、また同じものを。
無理なら何か似たものを買い直したいなと、寂しくなった右手の小指を撫でながら思うのであった…。
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