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【エッセイ】春が近づく

ここ最近、特に鼻先に春を感じることが、急にぐんと増えた。天気が良くて風が強い日などは、ことさらそれを強く感じるし、もはや鼻だけでなく目にも感じる。くしゃみは止まらないし、涙も出るし、なかなかつらい。

暦の上では、2月4日が立春ということで、とうに「春」になってはいる。何ならもう2月も終わろうとしていて、こういう瞬間に、「思ったよりもずっと、季節のページのめくれるペースは速い」と実感する。

教員をしていた頃、この時期は本当によく泣いていた。

私は、聞こえがいいように言えば、非常に感受性が豊かで共感力が高い。それはつまり、ひどく雑にいうと「大変泣き虫」なのである。これはもう、私を知る人なら、生徒も含め口を揃えてそうだと頷くだろう、自他ともに認める「私の性質」だ。

この時期は、卒業の時期でもあるし、一学年の締めくくりである時期なので、そこかしこに「別れ」が散らばっている。

私が一番「よく泣く」時期なのだ。

自分が授業に入ったクラス。
年度が始まったばかりのときは、授業中に目の合わなかった子が、今や私を見て質問を投げてくる。なかなか提出物の出なかった子が、遅れても出すようになっていたり、記述の苦手だった子が1文でも2文でも、自分の意見を述べられるようになっていたり…。しみじみと振り返ると、1週間にほんの1コマ50分しか接点のない子も含め、全員が「間違いなくその1年間で成長」していて、自分はそれを「こんなにも近くで見守ってこられたのか」と嬉しく思ったものだ。

自分が担任を持ったクラス。
私はもう、本当に自分の受け持ったクラスをめちゃくちゃに愛するタイプ(とても重い)だったので、別れのタイミングは常に寂しさでいっぱいだった。最後の方などは、クラスに入り教壇に立って教室を見渡しただけで鼻の奥がツンとした。そして何よりも、「絶対1年前よりも良い顔になった!」と言える姿で次に進む、その背を見て本当に誇らしくも思った。寂しくても泣けるし、誇らしくても泣けたのだ。

教え子たちはみんな、今でも一人残らず私の誇りだし、夢だし、希望でもある。

そんな生徒たちの節目と、お別れ。泣き虫な私が泣かないはずもなく。
特に3年生の担任を持っていたときは、卒業式までクラスの生徒の名前読み上げの練習をしつつ、夜な夜な風呂で泣いていた(本当にとても重い)くらいだった。

今となっては、懐かしさの方が勝る、この時期特有の大切な思い出だ。
どんな仕事もこれからの時期は、異動やら転勤やらで環境に変化が訪れるものである。

2月が、終わって3月が、くる。忙しさにかまけて、寂しさや不安を見ないふりできるのは途中までで、どこかのタイミングでふと、それに気づいてしまうことがある。

みんながそれぞれ、無理なく新しい年度に進めるようにと、切に願わずにはいられない。

今これを書いていてもちょっと涙が出そうになるのは…きっと恐らく、多分、鼻先に「春」がもういるからだ。

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