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【日記】たまに教師みたいな顔してさ

諸々の用事のために帰阪して、少し経った。

その中で、今回もたくさんの人に会うことができた。

三人(四人?)で食べたプリン!

週に一コマだけ持っていたクラスの、教え子たち。

その授業は、文章の表現力を身につけることが目的の授業だったので、本当にたった一コマ。
時間にして、一週間のうち五十分だけ共通の時間を過ごす。

そんな授業で出会った人たちと、卒業して何年も経つのに「会おう!」という話しになる不思議。

馬が合ったといえばそれまでかもしれないけれど、よくぞまあ出会ってくれたなと、本当に嬉しくてありがたくて、たまらない気持ちにもなる。

それぞれの卒業してからの人生を辿りつつ、現在の悩みや高校時代の思い出を、横に並んで眺める。

二人ともそれぞれに悩むことはあるだろうけれど、聡明で自分をきちんと持っている人なので、私は何も心配していない。

一人の子は帰りの方向が同じだったので、電車の中でシートに並んで座った。
全然混んでない車内なのに、わざわざ隣に詰めて座ったら「狭いからー!」と言いつつ、ケラケラと笑っていた。

数年前に、教室で何度となく見てきた顔だった。

この先も、その笑顔が際限なく溢れる未来であれと、心の底から祈りながら別れた。


かと思えば、担任を持っていたときはそんなに深く深く関わらなかった子と、卒業してからよく話すようになったなんてパターンもある。

卒業してから、恐らく初めての再会。

まさかの、お母さんにまでご挨拶しちゃってさ!

遅刻の多い子だったから、よくお家にも電話をかけていて、お母さんと共に「あのときは大変でしたよねえ」なんて笑い合う未来があるなんて思いもしなかった。

気分屋だけれど、周りのこともよく見ていたし、何より家族のことを大切に想っているのは高校の頃から変わっていなくて、話しているだけで優しい気持ちになった。

話しをする際、高校の頃よりもよく目が合うようになっていて、そこも嬉しく思いながら仕事をしている様子を覗かせてもらった。

態度は多少粗雑なところがあるけれど、心根のいい子だということはきちんと知っている。
担任をしていたときは、「近すぎて」見えなかった姿も見られたような気がした。私が近づきすぎていたのかもしれない、という新しい気づき。

帰り、最寄り駅まで車で送ってくれた。
その車内で「卒業してから、唐仁原を助手席に乗せる日がくると思ってた?」と聞いてみたら、「まっっったく!」と言われたので、「私もまっっったく!」と返して、二人で笑った。

私、こんな日がきたらいいなとは思っていたけれど、本当にこんな日を迎えられると思ってなかったよ。
どれだけ嬉しくて、ありがたかったことか。

車を降りた後、改札に向かおうとする私に向かって、運転席側の窓を開けて、びっくりするくらい大きい声で「ありがとう!気をつけてね!」と言ってきた。

私も負けじと「こっちこそありがとう!また会おうね!」と声を張った。…そういうところが、私にはある。

数年前、少し悩んでいた私が思いっきり報われた瞬間だった。

もらった佃煮が美味しかった…!

何年経っても、ずっと変わらない関係もある。

卒業して、進学して、進路変更をして、親になって…。
目まぐるしく変わる環境の中、都度連絡をくれては迷える私を「先生」たらしめてくれた存在たち。

私が、初めて担任を持った世代。
もう卒業してから何度会って、どれだけ話したことか解らない。

さすがにイイ大人なわけだけれど、お互い高校にいたあの頃からの絶妙な距離感は変わらなくて、本当にありがたい。

親になって考えることの幅が広がり、見える景色も一気に変わる。困ることの種類も多岐に渡り、悩む時間も相応に増える。

そういうときに、「唐仁原なら何と言うだろう」とか「唐仁原にとりあえず会おうかな」とか、思い浮かべてもらえるという事実にたまらない気持ちになる。

それはまさに、私が狙うポジションだ。

兄弟のような、師弟のような、人生の友のような。

何もできないけれど、一緒にのんびりコーヒーでも飲みながら、悩みについて考える時間を持つ。

子どもを含む「他人」の心配を優先しなければならない時間が増えると、「自分」のことがどんどん後回しになる。

その、後回しになる「きみ」を見守ることが、今の私がしたいことやできることなのだと伝える。

別れ際に、「会えて良かった、充電できた」と言われる。
危うく涙が出そうになる。いつだって私は「きみ」の味方だと伝え、人目をはばからずに人の多い改札でハグをする。

高校の頃から大きく変わらない関係と、相手の幸せを切に祈りながら背中が見えなくなるまで見送る──。


教師には、どうやら教壇を降りてもできることがあるらしい。

そんなことを日々教えてくれる、唯一無二の存在たちに、私は今でも支えられている。

限られた時間、タイミングの合う合わない、諸々ある中で久しぶりに会えた大切な教え子たちに、今回も心の底から感謝をしたい。

ああ、きみたち全員の未来に笑顔多かれ、幸多かれ。

また会おう、親愛なる教え子たち!

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