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【読書④】〜『最高の戦略教科書 孫子』を読んで・その4〜

昨年夏から朝や昼休みにちょっとずつちょっとずつ読み進めてきて、やっと読み終わった『最高の戦略教科書 孫子』

前回までの続きで今回も、本書で紹介されていた「孫子の兵法」の一節から、“野球に置き換えて考えると?”という観点で、私自身感じたことを書いてみようと思います。

「不敗の態勢」「正」と「奇」「勢」についてと、3回にわたって書いてきました。

今回は「将軍の心構え」について書き、最終回にしようと思います。

高校野球はプロではなくアマチュアであり、アマチュアの中でも学生のやる野球です。

そんな高校生がやる一発勝負のトーナメント。

負けたら終わりのプレッシャーの中でプレーします。

高校生がやっているため、試合の中での心の波風、浮き沈みは大きいです。

それを率いる指導者(監督、責任教師)のリーダーシップは重要です。

また、試合だけではありません。

子どもたちとの人間関係、信頼関係を構築し、部活の指導者としてだけではなく、教育者としても、組織を率いていかなければなりません。

戦争の将軍とは性質が違うところもありますが、『孫子』の一節から、指導者の心構えやリーダーシップを考えてみました。

まずはじめに、

「卒、いまだ親附せざるに而もこれを罰すれば、則ち服せず、服せざれば則ち用い難きなり。卒、親附せるに而も罰行われざれば、則ち用うべからざるなり。故にこれを令するに文を以ってし、これを斉うるに武を以ってす。これを必取と謂う。令、素より行なわれて、以ってその民を教うれば、則ち民服す」

(兵士が十分なついていないのに、罰則ばかり適用したのでは、兵士は心服しない。心服しない者は使いにくい。すっかりなついているからといって、過失があっても罰しないなら、これもまた使いこなせない。したがって、兵士に対しては、温情をもって教育するとともに、軍律をもって統制をはからなければならない。ふだんから軍律の徹底をはかっていれば、兵士はよろこんで命令に従う)

という言葉です。

子どもたちに「愛情をもって教育する」ことと「規律をもって組織をまとめる」ことを、ともに両立して行うことが大切だと述べています。

「愛情をもって教育」することは、優しければ良いということではないと思います。

「愛情をもって教育」という表現から、子どもたちにとって必要だと感じたものは厳しくともしっかり指導する“指導者としてのポリシー”が必要だというニュアンスを感じます。

また、「軍律の徹底」も「罰則ばかり適用したのでは、兵士は心服しない」、「罰しないなら、これもまた使いこなせない」と、「規律をもって組織をまとめる」ことは、厳しすぎても、優しくて甘すぎてもダメだということです。

そのバランスが大切であるということです。

そして「ふだんから軍律の徹底をはかっていれば、兵士はよろこんで命令に従う」とあるように、“普段から徹底する”こと、つまり指導者は“ブレずに”組織として規律を守らせていくことが大切だと読み取れます。

まとめると、
① 厳しさの中にある愛情をもって日々指導する
② 厳しさのバランスのとれた規律をもとに日々ブレずにチームをまとめていく
この両輪を回していくことが大切
だということです。

次に、この言葉です。

「卒を視ること嬰児のごとし、故にこれと深谿に赴くべし。卒を視ること愛子のごとし、故にこれと倶に死すべし」

(将軍にとって、兵士は赤ん坊と同じようなものである。そうあってこそ、兵士は深い谷底までも行動をともにするのだ。将軍にとって、兵士はわが子と同じようなものである。そうあってこそ、兵士は喜んで生死を共にしようとするのだ)

先ほどの話と重なってきます。

「我が子」のように、“愛情をもって教育”すること。

指導者が“普段からブレずに”規律の徹底を図り、“愛情をもって教育”すること。

それによって、子どもたちは「深い谷底までも行動をともにする」のです。

次に、この言葉です。

「将とは、智、信、仁、勇、厳なり」

(「将」─知謀、信義、仁慈、勇気、威厳など将軍の器量)

将軍の器として、①智(知謀)②信(信義)③仁(仁慈)④勇(勇気)⑤厳(威厳)が必要としています。

本書では、その「知謀」「信義」「仁慈」「勇気」「威厳」という訳語の簡単な説明として

*知謀 ─ 先を見通し、謀略を駆使できること
*信義 ─ 部下から心服されること
*仁慈 ─ 部下を思いやること
*勇気 ─ 実行力
*威厳 ─ 部下から恐れられること

と記しています。

自分自身は指導者としてこの器がどのくらいあるのか、と考えさせられます。

それを踏まえて、次のこの一節です。

「将に五危あり」
(将帥には、陥りやすい五つの危険がある)

「一、必死は殺さるべきなり」
(いたずらに必死になれば、討ち死にとげるのがおちだ)

「二、必生は虜にさるべきなり」
(助かろうとあがけば、捕虜になるのがおちだ)

「三、忿速は侮らるべきなり」
(短期で怒りっぽければ、敵の術中にはまってしまう)

「四、廉潔は辱しめらるべきなり」
(清廉潔白では、敵の挑発にのってしまう)

「五、愛民は煩さるべきなり」
(民衆への思いやりを持ちすぎると神経が参ってしまう)

これは何を言っているかというと、筆者は本書の中で、

一、「勇」のあり過ぎる人は、必死になり過ぎてしまう、すると討ち死にしてしまう。

二、「智」のあり過ぎる人は、自分の身の安全を考えてしまう、すると捕虜になる。

三、「厳」のあり過ぎる人は、感情面を刺激されて、敵の術中にはまってしまう。

四、「信」のあり過ぎる人は、清廉潔白にこだわり過ぎて、敵の挑発に黙っていられない。

五、「仁」のあり過ぎる人は、民衆を思いやり過ぎて、神経をやられてしまう。

という問題が起きるということだと述べています。

このことから、将軍の器として、①智(知謀)、②信(信義)、③仁(仁慈)、④勇(勇気)、⑤厳(威厳)が必要だが、突出し過ぎているものがあるとそれはそれで問題があるということが読み取れます。

つまり、“勝負師”ともなる指導者は、この5つの“バランスの良さ”が不可欠だということです。

『孫子』の中での将軍のあるべき姿と、高校野球(その他部活動)の指導者のあるべき姿を照らし合わせると、子どもらに対する教育も、組織の規律の厳しさも、指導者の持つべき器量も、すべてバランスが大事であり、自らアンテナを張って敏感に感じとりながら、常日頃からそのバランスをとっていく必要があるのだと考えさせられました。

何事も“バランス感覚”だということです。

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