自分の幸せは自分で作っていく

前回の投稿内容の補足になりそうな、更に深く自分が思うことを発信する。

大概の人間関係には、関係性を明確に示すような名前がある。家族、兄妹、親戚、(いつの時代の)友達、職場の人など。自分が属する又は属したことのある過去から成り立つ関係性。今ある自身の周りの人達は、そこから派生した人間関係が多いのではないだろうか。それらの関係に対して『理由』と考えるのか、『気持ち』と考えるのかで、私は、相手(個人)に対する本当の【自分の意思】を知るきっかけとなった。
私はきっと、『明確な関係性があるから人を大切に出来るし、自分が生きやすい環境なのだ』なんて思っていたのかもしれない。もちろん、そこに属している期間なんて、統一性はない。しかし、長く過ごす程に互いの関係性は深くなりそうな気がしていたので【時間の長さ=気持ち】だと認識していた。
ところが、それらに属することを、人と関わる『理由』として考えたならば、【自分の中の本音】がどうであろうと、【関係性を成り立たせる為の関係】に過ぎなくなる。と思い始めた。逆に、その関係に『気持ち』を持って【自分の意思】に比例しているならば、【相手への気持ちが純粋であること】の現れだと考える。後者ならばきっと、【互いの本音】に真っ直ぐ、異なる価値観であっても【互いを認め尊重し合える関係】を求める感覚で、関係が近くなればなるほど大事なことだと自覚する。だって、いくら長い時間を共にしていようとも、【自分の中の本音】とは関係なく【関係性を成り立たせる為の関係】に過ぎないのだから。私は、そんなに【関係性を成り立たせる為の関係】が大事なのだろうか?と疑問を抱いた。【自分の意思】とは裏腹に『その場を乗り切る、時間が過ぎるのを待つ、笑顔の裏の本音を隠し通すのが目標』みたいな。これも全部、少し前まで私の感覚。
また、『そこに属する中の1人に過ぎない【自分】だ』なんて考えると、【自分の人生】に対しても悲観的になりやすかった気がする。きっと、『自分がどこに属するのかなんてことは関係ない』はずで、むしろ『自分が求める方向を見つけていく』ことが【自分の人生として大事なこと】ではないだろうか。『教えられた事を教えられた通りに生きる』なんてことも、【自分の意思】と比例してるのであれば選択肢の中の1つだと思う。しかし、『万人に当てはまる』なんてことは、不可能極まりないだろう。何故ならば、『全く同じ人間なんて間違いなく存在しない』のだから。だから私は【私自身が生きやすい!と思えることを選択し続ける人生】を送りたい。しかも、それを【自分の意思】に真っ直ぐに。たとえ失敗しても、そこから学んで肯定し続ければいい。それが、私が望む【自分が生きやすい人生】だと考えている。

故に、以前の投稿の今年の目標に対して、少し具体的なことを目標にしたいと思いついた。それは【1人の時間を充実させること】だ。『友達との思い出には、既に十分満足している』からこそ、『1人でも自分が本当にやりたいと思うこと』を抜粋する。自分の意思が不透明な状態では、基本的に結論を出さない。必ず自分の意思を明確にするもしくは、その【答えに自分が納得する意味】を見つける。『他人を優先する』のも、『他人に合わせる』ことも、『他人の言うことを尊重する』のも、【自分の意志有りき】ならば、【自分の意思】として必ず【納得】できる。何故なら、『自分以外の誰のせいにもする理由がないから』である。例え自分の意思と裏腹なことでも、【自分が決めて選択した】のなら、必ず何かしら『肯定できるように努力』する。嫌なことは嫌、気持ちがないことは断る、自分の望みを叶えるための行動や、日常生活での自己主張。全部、『自分が疲れないように、無理ないようにコントロール』すればいい。それが上手く出来ないと嘆き苦しむくらいなら、『出来ないことを本当は悔やんでいる』こと、『自分なら出来る』と本当は思っていること。その『ギャップを知ること』が、【自分を変えるスタートライン】だと私は思う。少し前の自分がそうだったように。

誰かが自分を幸せにしてくれる訳じゃない。誰かに自分を満たしてもらうから、自分が幸せな訳でもない。私は、【自分で自分を幸せにする者同士で成り立つ関係】を大事にしたいと考えるようになった。

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