見出し画像

渡り鳥

3年と1ヶ月赴任した岡山からの異動が決まった。正直、急な転勤でびっくりしてる。キャリアの棚卸のために、岡山暮らしを振り返ってみたい。

◼️仕事
一年目。
1週間ほどの本社研修を終えて岡山に着任。新大阪駅で大阪配属の同期を新幹線から見送った。これからはじまるサラリーマン生活に不安を感じながら、メンター・先輩と飲んで就寝。翌日に引っ越しを済ませる。
お客様期間は初日の歓迎会で終わり、右も左もわからないまま3ヶ月間の繁忙期突入。ユーザーからもクライアントからもぼこぼこにされる毎日。7月まで毎週土曜出勤の生活がようやく終わったと思ったら、22時まで客先駐在からの翌日7時に直行。強くなったのはこの時の経験がベース。繁忙期が終わった解放感から大阪の同期に会いに行ったら、相手方がコロナ感染で私は濃厚接触者に。年の瀬迫るあの頃のトラブル対応でユーザーから評価頂けたのは財産。年が明けたら上司と尊敬している先輩の転勤。どうしようもない現実に対し、大阪のねーちゃんに愚痴を聞いてもらう。

2年目。
直属の上司が不在となり、環境のせいにして腐る毎日。ユーザーにもそれを咎められた。山口での2泊3日の研修後にコロナ感染。絶対2次回のガールズバーが感染源。ある時期から毎日夜遅くまで残業。生き甲斐を見つけられないと死んでしまうと思いランニングを再開。大会にも出た。その頃から大型案件も裁量持って取り組めるようになり、クライアント・ユーザに頼られる事にやりがいを感じる。結果的に大惨敗をしたプロジェクトもあったけど、社内外からプロセスを評価してもらえた事は財産。年末に人生で一番美味しかった焼き鳥を食べる。永遠よりも長い一瞬が待っていたかもしれない世界線に足を踏み込んでみたかった。年が明けると春からの繁忙期への準備に追われる。

3年目。
5月から7月まで繁忙期。手が回らずにぶつかり始めたのはこの頃。ただ、この期間が一番充実していた。クライアントからの信頼を得られるようになり、確かな手応えを感じていた。引き出しの数も増えて、苦しいなりにも働きがいを感じていた。とにかく迷った時は自分が面白いと感じた方を選択する事、自分の正義を大切にする事を大切に仕事に没頭。尊敬していた上司も戻ってくる事が決まった矢先に事件が起き干される事に。

4年目。
スタートして1ヶ月で転勤。元々20代のうちに都会に行きたいとは思ってたけどあまりにも急。急いで引き継ぎと転居に必要な手続きを済ませる。

◼️プライベート
スポーツに関しては、ゴルフとマラソンを楽しくできたかなと。
なるべく多く中四国旅行できると良かったんだけど、その体力は残っていなかった。四国カルスト、出雲大社、しまなみ海道あたりは行きたかったな。
車を2年目に買ったので、ある程度行動範囲は広がった。

◼️まとめ
・この転勤が高く翔べるきっかけになればいいなと。酸いも甘いも色々ありすぎた地方赴任。あの時の経験を活かしつつ、経験に頼りすぎず。美化も風化もしなければいい。
転勤がある職種である以上、渡り鳥のように国内外各地を転々としながら人生を歩んでいかないといけない。人生最後の日に、飛んだ空と降り立った場所をなるべく多く思い出せるように。


 


この記事が参加している募集

新生活をたのしく

なりたい自分

with ヒューマンホールディングス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?