分かり合えない二人に眩しい日が射す

 「A2」という森達也監督のドキュメンタリー作品を観ました。この作品は地下鉄サリン事件を起こしたオウムという宗教団体にかかわるものです。作中では監督自身が撮影し、信者や地域住民などにインタビューをおこなっています。

 見るかぎり、信者のほとんどがいまのぼくと近い年か、それよりも年上の人たちばかりです。それなのになぜだか彼らが中学生のように見えました。オウムの施設は、まるで先生のいない教室みたいでした。

 キティちゃんが好きな女性の信者がクスクスと笑います。すぐそばの窓の外には「殺人集団 出ていけ」という看板がたてられています。

 オウム信者がいる地域では彼らを排斥するデモがおこなわれています。拡声器を手に取って自分たちの思いを叫び続けます。

「オウムは出ていけ!」
「オウムは出ていけ!」

 ぼくはオウムについてほとんどなにも知りません。子供のころに地下鉄サリン事件を取り扱ったテレビ番組を観たぐらいです。だからどういう思想をもった宗教団体なのかよくわかりません。彼らは「修行」といっていますが、それはどこに向かおうとしてやっているのかよくわかりません。

 地域住民の抱く不安や憎しみは理解できますが、拡声器で叫ぶことは果たして正しいのでしょうか。それに信者のからだにサリンが付着しているかのように思い込む住民の目は果たして正義の目なのでしょうか。そもそもなにが正しいのか、どっちが正義なのか、よくわかりません。

 作中の会話で印象に残っているものがあります。ある信者とあるマスコミ関係者の会話です。かつて二人は学生時代、同じ馬術部の部員でした。

「マスコミっていうのは事実と違ってもさ、自分の放送局の方針でバンバン報道しちゃうっていう印象が非常に強いから、それでけっこう傷つく人も多いと思うんですよね。当事者なんかは。なんでそういう職業に就くのかなって、いつも不思議に思ってたんだけど」 

 「僕も不思議に思うよ。なんでその、親とも離れてさ、好きな人とも離れてさ……どうしても分かんないよ」

 「5年前は一緒の部活してたのにね」

 
 分かり合えない二人が気まずくならないように笑い合っています。その頬に眩しい日が射しています。ぼくの胸は切なさでいっぱいになりました。

 それから胸が痛くなった場面があります。信者たちが乾燥したマッシュポテトを食べている場面です。おいしいというので監督がそれを食べます。

「いける? これ?」

 「え? いける」

 「史上最大にまずいですよ」

 「えーまずいですか、これ」

 「これは現世ではまずいっていう」

 信者の人たちは「出家」しているため、ぼくたちのいる世界を「現世」と呼びます。監督が言う「これは現世ではまずいっていう」という言葉に本気で納得していない信者たちが見ていて辛かったです。そういった食べ物を食べることも含めて「修行」なのでしょうが、やるせない気持ちになりました。

 なにが正義なのか、ほんとうにわかりません。大多数に賛同されたら正義になるのか。論理的に証明されたら正義になるのか。勝負に勝ったら正義になるのか。自分の考えやいま置かれている状況を正当化するための正義なのだとしたら、正義って「悪」よりやっかいなものかもしれません。