あれは自由の夏だった


 ぼくには思い出す夏があります。ひとつは小学一年生の頃の夏です。近所の友達と一緒によく遊んでいました。虫捕りやケイドロ、クツ飛ばし、BB弾の撃ち合いなど飽きもせずにやっていました。時には悔しくて泣くこともありました。自分が大人になるなんてまったく想像できなかった頃の夏です。


 そしてもうひとつは、大学生の頃の夏です。一人暮らしで友達もおらず、恋人もおらず、アルバイトもしていなかった頃の夏です。

 学生の頃は奨学金をもらっていたのでそれで生活できていましたし、学生ということもあって働いていないことにまったく抵抗がありませんでした。ただ、人との交流がまったくなかった夏でもありました。

 大学生のあいだに友達と呼べる人は一人も出来ませんでした。たまに話すことはあっても、「同じ講義を受けよう」とか「休みの日に遊ぼう」とか、そういうことにはまったく縁がありませんでした。

 夏休みに入ってすぐに退屈を感じました。あり余った時間がその頃のぼくを苦しめました。それだけ暇だったなら、その時間を利用して一人旅に出たり資格を取ったりすればいいのでしょうが、そんな気力はありませんでした。東京にいる兄から「暇なら東京来いよ」とメールがきても「なんでえ、めんどくさい」と返してしまうほどでした。

 それは自分の糧になるものなどひとつもなかった夏です。他の人からすれば思い出すことすらしない夏です。いいことなんてなかったのに、ぼくはどうしてかその夏を思い出してしまうのです。

 意味もなく自転車で小学校の校舎の周りを何十周もしたこととか、町田康の「告白」を読み終えてしばらくボケーッとしたこととか、夜明け前に部屋を暗くしてタンスに頬をすり当てながら音楽を聴いたこととか、その当時同世代だったアイドルの頑張りや可愛さに癒されたこととか、つげ義春の漫画に衝撃を受けたこととか、アメトークの人見知り芸人に仲間意識を抱いたこととか、原付で二時間弱もかけて遠くのブックオフに行ったこととか、市民プールに行き人生で初めて25mを泳ぎ切ったこととか、この夏はいつまで続くのかという不安に押し潰されそうになったこととか、そうした記憶がいっしょくたになって風のようにぼくの脳内に吹きつけるのです。

 仕事をしているとき、休日家にひきこもっているとき、ふいにそんな風が吹きつけてくるのです。そしてこのなんとも言い表せない感覚を分かち合いたいと思うのです。しかし、そんな人はいません。だからぼくは昔の自分を思い出して語り合おうとするのです。


「ねえ、あの時って孤独だった?」
「めっちゃ孤独だったよ」
「そうかあ」
「うん。だってあんなことも、こんなこともあったじゃん」
「ああ、あれは辛かったなあ」
「でしょ? で、そっちは? 元気にやってる?」
「うん、まあまあかな。でもいまも孤独だよ」
「えっ、未だに?」
「うん」
「まじかよ」
「これからいいことあるかな」
「どうだろうね、でもまあ、ないと困るよね」
「ふふっ、たしかに」