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今ごろ気になる『エモ消費』


最近、すごく遅ればせながら『エモ消費』という言葉を知った。
2017年に荒川和久さんという方が創られたというその言葉は、自分の感性を動かすかどうかを最重要視した消費の仕方の名称だそう。
そして今では、わたしの息子らの年代(いわゆるZ世代)の消費の傾向を指す言葉にもなってるらしい。




たとえば、デジタルに比べたら絶対的に使い方は不便だけど、デジタルには出せないエモみ=味わいのある写真が撮れる、フィルム内蔵インスタントカメラ。
それから古着。
古着は時を経たためほぼ全てが一点ものだし、それぞれにストーリーがあるから、同じものがたくさん出回ってる新品の服よりもエモみを感じやすいということで、今また流行ってるみたい(古着好きな息子②による情報)。
あと、わたしが以前不思議に思っていた本人不在の推し誕生日パーティーも、純粋に自分自身の心を動かすためのものだから、エモ消費に分類されるんだって。


そんなふうにエモ消費は、事に物にとジャンルが多岐に渡る。
なにしろ彼らZ世代は、情報強者だ。
五十路のわたしなんかの知らないところに張り巡らした網から、自分の感情を動かす対象をうまいことキャッチしてきてるんだろうなぁ。
そこをターゲットに商売する側には予測が大変な時代なんだろうけど(わたしの夫もそっちの人)、このエモ消費っていうもの自体には、なんだかちょっとわくわくするものを感じてしまう。


自分の感情を動かすものに対してお金を払うというのは、とても自主的な行為だと思う。
『みんなが持ってるから』とか『人からすごいと思われたいから』とか、他者の存在に関わることが第一理由にならないというだけでも、わたしからすると隔世の感がある。
だって、わたしがその年代だった頃なんて、みんなと同じものを持つという行為自体が正義!みたいな雰囲気が、どこかしらあったと思うから。


同じブランドの同じ形のバッグを持って、同じような髪型をすることが一番のステイタスだった時代があった。
自分の好みとものすごく一致していたとしたら、わたしもそうしたんだろうか?
今となってはわかんないけど、当時のそれはとりあえず好みと著しくかけ離れていたから、そのムーブに乗ることはなかった。
結果どうなったかというと、〝個性的〟と呼ばれる羽目になった。
今は肯定的な意味で多く使われるその言葉だけど、当時は持っている意味合いがかなり違ったと思う。
良い意味で使われるのは人と違うことが価値を持つクリエィティブな界隈のみで、わたしの生きてるような平凡な世界では通常、群れからはずれた者を遠くから眺めて表現する時に使う、アウトサイダーとも似た意味合いを持つ、ちょっと寂しい言葉だった。
それは同時に、言われたら『おん💢?』って戦闘モードになるくらい、理不尽で鬱陶しい言葉でもあった。
そのせいか、今でも〝個性的〟って響きにあんまりいいイメージがないんだけど。



(五十路は油断すると昔話を長々とぶっ込みがち)


そういえば息子たちと話していると、よく『人それぞれ』というワードが出てくる。
わたしが『周りの子たちはみんなこういう感じなの?』みたいな、無神経に全体をまとめた感じの質問をすると、『そうだったりそうじゃなかったりだよ。人それぞれ。』みたいに返ってくることが多かった。
本当にそういう雰囲気なのか、わたしの息子たちがそんなふうに思い込んでいるだけなのか、はたまた母親からのこの手の質問がめんどくさいから、そうやって話を早々に切り上げようとしているのか…。
正解はどれなんだか知らんけど、まぁ基本『人それぞれ』の認識が少なからずあるってことは、間違いなさそう。
多様性の時代ってやつなのかしら?
それだけでも、昭和よりはるかに良い世界に思えてしまうよ。
ノスタルジーが加味されて美化してしまいがちだけど、よく考えたら悪いとこだって良いとこと同じか、それ以上にはあったもんな、昭和…。


実際に体験をせずに分かった気になってしまうとか、直接的な人との関わりがうまく出来ないだとか、ネガティブなことをたくさん言われがちな我が子たちの世代。
でも新しい世代は、確実にそれ以前の世代より優れている。
それは人類の進化の法則を思えば、確かなことなんだと思う(思いたい、も若干混じってる)。
そうしてわたしは今、自分の子供の世代がエモによってより多く消費をしているということに、とても希望を感じている。
自分の感性を大切にし、その心を満たすことに対して財力を注げるというのは、とても豊かな行動なんじゃないかしら?
社会が全体的に景気悪くなった時代に生まれ育った彼らが、自ら好んでそういう豊かな行動をしているというのは、夢に満ちた時代を作ってあげられなかったわたしたち親世代にとっては、思ってもみなかったリターン=親孝行のように思えてもくる。


ちなみに息子①によると、『何かを買う時、自分にとってエモいかどうかは確かに第一要素だけど、それプラス他人から見てもいい感じだったらベストだなってことは考える』だそう。
そっか、わりとバランスは考えてるのね…。
そりゃそうだわな、誰もが簡単に発信できるツール持ってる時代なんだから、自分的にエモいだけじゃ満足はできないか。
でもやっぱりその順番で考えられるのって、すごくいいよ!



ただこれ、『エモ消費』って言葉が比較的新しいものだから、今後どんどん意味合いが変わっていく可能性もあると思うので、今現在わたしが感じていることは、この駄文の冒頭の『エモ消費』の解釈が前提だ。
そこを踏まえて重ねて言いたい。


Z世代もそれ以外の世代もみんな、どうせ嗜好消費するのなら、エモ消費をより多くしてみたらどうでしょう?
そしたら、消費から世の中がもうちょっといい感じになる…っていうのは、脳内お花畑発想でしょうか?!




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