見出し画像

#001母として、楽器指導者として心身をケアする音楽スタジオを運営するーSelf Quest Lab 嶋村順子さんインタビュー

 東京・練馬に「Self Quest Lab(セルフ・クエスト・ラボ)」という音楽レッスンスタジオがある。この少し風変わりな名前のスタジオのレッスンは、一般的な楽器の扱い方や音楽表現の指導に留まらない。最新の科学的な理論に基づき身体的・心理的な側面から生徒をサポートし、演奏技術の向上やトラブルの解消を目指すことに重点を置いている。レッスンの対象となる楽器は問わない。このスタジオにはあらゆる楽器の奏者が通ってくる。
 今回、この「Self Quest Lab(セルフ・クエスト・ラボ)」を運営し、講師も務めている嶋村順子さんに、指導のベースとしている理論について、このスタジオを立ち上げるに至った想い、そして今後の展望を聞いた。

演奏家にはに身体的・心理的サポートが足りていない


 そもそも音楽に身体的・心理的なサポートが必要だというのは、どういうことか。
近年、スポーツの分野では、本番での緊張からくるパフォーマンスの低下に対処すべく「スポーツ心理学」や「メンタルトレーニング」といったものが少しずつ認知されてきている。
楽器演奏は一見スポーツとは全く性質の異なるもののようだが、実はパフォーマンス(演奏のテクニックのみならず、音楽表現の出来さえも)を大きく左右しているのは、全身の筋肉の繊細なコントロールだ。こと、オーディションをはじめあらゆる評価にさらされる音楽家の世界は非常に精神的な負荷が大きく、「あがり」によって身体のコントロールが失われ、思うような演奏ができないことに悩まされる演奏家は実はとても多い。
だが、その多くは精神論で片付けられ、本番の「あがり」によって練習の成果が発揮できないことがただの実力不足とされてしまう。スポーツの分野では少しずつ認知されてきている心理面からのサポートが、音楽の分野においてはまだほとんど行われていないのだ。
Self Quest Labには、そういった心理面での悩みを抱える演奏家が、プロ・アマチュアを問わず通ってくる。

Self Quest Lab(セルフ・クエスト・ラボ)がベースとしている2つの理論


Self Quest Labで指導のベースとしている理論は、ふたつある。ひとつはアレクサンダー・テクニークというもの。そしてもうひとつは人間の心と身体を脳神経や解剖学などの科学的な観点で捉えることだ。嶋村さんはポリヴェーガル理論をベースにしたソマティックエクスペリエンシング®︎を取り入れている。
 いずれも聞きなれない言葉だが、アレクサンダー・テクニークは身体が自然な均衡を保った状態を体感し、それを自分の体の在り方の基準とすることで不必要な体の緊張を取り除くことを目指す。楽器演奏の他にも、声楽や演劇、ダンス、ヨガなど、幅広く表現活動を行う人たちを対象に個人やグループでのレッスンを行うものだ。
 一方のソマティックエクスペリエンシング®︎は、より精神医療に近い分野で、最新のトラウマ療法と言われている。過去の体験をはじめ、何らかの理由でパターン化されてしまった心身の恐怖反応を緩和すること、あるいは、恐怖反応に対する許容範囲を広げることで、パニック的な状況に陥ることを減らしていく。元々音楽家のケアのための分野として発展したものではないが、恐怖に対する身体反応にいくつかのパターンがあることを説明しているこの理論が、楽器演奏上の問題解決にも応用できると、嶋村さんが取り入れたものだ。

自身のスタジオ立ち上げに至った経緯


「2019年ごろまで、アレクサンダー・テクニークを専門にしたスタジオの講師として勤務していました。そこでのレッスンはとても充実していたんですが、より理想に近いレッスンをしたいと考えるようになり、同僚だった講師の女性と共に独立し、立ち上げたのがSelf Quest Labです」
 実は独立を決めた時、嶋村さんは脚を骨折する大けがを経験した。入院でスタジオでの指導が続けられなくなったが、その間に読んだのがソマティックエクスペリエンシング®︎に関する書籍だった。それまではスタジオでの勤務に忙殺され読書の時間も十分に取れなかったが、この時ソマティックエクスペリエンシング®︎の理論に触れたことが、結果的に独立を強く後押しすることになった。
 「最初にソマティックエクスペリエンシング®︎を勉強しようと思ったのは私の娘のためだったんです。当時娘は大学進学で京都にいたんですが、精神的な問題を抱えて、どうしても大学に行くことができなくなってしまって。私が脚を怪我したちょうどその頃、娘も一番つらい時で、もう大学を休んで実家に帰っても良いのではと迷っていた時でした。彼女の抱えている問題に対するヒントを、入院中に読んだ本にたくさん見つけました。娘にも『これ見て、あなたのことが書いてあるよ、だからあなたも治るんだよ。私、これ勉強するから』って言って。でもこの理論は同時にわたし自身にも、これまで私が指導してきた生徒さんにも役立つものだと確信しました。アレクサンダー・テクニークとソマティックエクスペリエンシング®︎はどちらも自分自身で自己を調整するスキルを学ぶものです。自分で自分を立ち直らせて行く学び。私はひとびとの自立と自律をサポートしたい。だからこのふたつをを併せて提供できるレッスンスタジオを立ち上げようと、決めたんです。」
 実は嶋村さん自身も、フルート奏者として長らくあがりの問題に苦しめられてきた。ここぞというオーディションのたびに「私の身体、どうなっちゃったの?」というくらいに身体が動かなくなってしまったという。音楽家として、こんなに苦しいことはない。アレクサンダー・テクニークの指導に携わったのも、最新の知識をアップデートし続けているのも、原動力は自身の悔しかった経験にある。

身体と心の相関関係


 Self Quest Labでは、体の使い方を生徒と共に検討する方法でフィジカル面からアクセスする場合と、よりカウンセリングに近く、その人の抱える背景事情や心理的な反応パターンを検討するメンタル面からアクセスする場合と、生徒それぞれの状態に応じて両方のレッスンが行われている。
 レッスンの事例を聞いていると、楽器演奏に際しての「あがり」のトラブルはあくまで恐怖反応のパターンが分かりやすく表出する機会に過ぎず、ケアしていくべきはより深いところにある心の問題のようだ。実際に嶋村さんは、楽器演奏の指導の他にも、カウンセリングも一部行っている。
 身体を鍛えることが、心の問題を解消するケースもあるそうだ。嶋村さんの生徒であるフルート奏者の女性は、コロナ禍でしばらくレッスンから遠ざかっていたそうだが、先日久しぶりにレッスンをしたところ、嶋村さんの提案に対する反応がとても良くなっていたという。何が変わったの?と聞いたら、コロナで公共交通機関を使った通勤に抵抗があるからと、片道40分の自転車通勤をするようになっていたのだという。そのフルート奏者の女性は小指の運動に問題を抱えていたが、レッスン再開を機に以前よりもずっと速いペースでの改善がみられるようになったそうだ。「彼女は明らかに、以前よりも心(脳)と身体との接続が太く、速くなったと感じました」と嶋村さんは話す。
様々な症例をケアしてきて、嶋村さんは言う。「あがりによる身体の問題は、時間はかかるけれど、変えたければ絶対に変えることができます。もちろん、変えたくなければ変えなくてもいいんです。ここには選択の自由と変化の可能性があるんです。」

今後の展望―より多くの人にケアが届く未来を―


 ソマティックエクスペリエンシング®︎を指導に取り入れるにあたって、嶋村さんはプラクティショナーの資格を得るためにトレーニングコースを履修した。ソマティックエクスペリエンシング®︎を学ぶ人のほとんどは精神医療の臨床家だったという。
 「私のように、臨床に行かずに民間で独自の指導を行う人間はまだほとんどいません。ですが、私が目指しているのは、演奏家の問題解決はもちろんですが、もっと広い目線で、心の病になってしまうその手前の状態にある人たちをなんとか救い上げられないか、ということなんです。」
 今後の展望として、子供を育てる家庭のケアをやってみたいと話す嶋村さん。自身の経験からも、母親をはじめとした養育者がもっと笑顔でおおらかに過ごせるようになることで、後天的に精神的なトラブルを抱える子供を減らすことができると考えている。

Self Quest Lab(セルフ・クエスト・ラボ)にて共同代表をとメイン講師を務める嶋村順子さん。写真は江古田のスタジオにて。レッスンは解剖学的な観点から行われるので、アレクサンダー・テクニークを教えるスタジオには骨格模型があるのが特徴的である。

嶋村 順子プロフィール
武蔵野音楽大学フルート科卒業。
演奏家、指導者としての30年以上の経験にアレクサンダーテクニーク教師としてのスキルが加わった独自のレッスンは各方面からの信頼を集めている。
現在、アレクサンダーテクニークレッスンスタジオ「Self Quest Lab(セルフクエストラボ)」共同代表。
フルート奏者、ATI認定アレクサンダー・テクニーク教師、SEI認定ソマティック・エクスペリエンシングプラクティショナー。

 Self Quest Lab ホームページ
https://self-quest-lab.com/

嶋村順子ホームページ
https://junkoshimamura.wixsite.com/alexander

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?