図書館で、本を延滞する人たち
数としては、想像しているよりも少なくない。
借りた本を決められた期限までに返却しない人、というのは案外ぼちぼちいるものである。その利用者に返すよう促すことも、もちろん僕たち図書館員の仕事ではある。
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先日、とある利用者がカウンターまでやってきた。年齢は僕の祖父とおなじぐらいか、または少し下ぐらいだとおもう。とにかく世間一般では「ご高齢」とされる方が、悠然と僕のいるカウンターまで足をはこんだ。
大学図書館とはいいつつ、大学には10代後半から20代の若者だけでなく、通信教育であったり、単発の講座を申し込んで受講されている方も大勢いる。もちろん、図書館もみな平等に利用ができる。
その年配の方は「返却します。」と本を一冊手に持ってきたのだが、この流れで書くのなら当然として、返却期限日を過ぎていた。
何度も言うが、こういう方は少なくない。残念ながら1日に5人以上はやってくる。
とはいえ、この記事は「延滞」についてダラダラと書きたいわけではない。僕が興味をもったのはここからだ。
その年配の利用者は、2周りも3周りも年下の僕にたいして丁寧な口調でこう言った。
「あ、遅れてすみませんでした。ところで...本来の期限日っていつでしたか?」
僕はこんな仕事をしているためか、図書館で本を延滞したことは一度もない。でも、遅刻などを含めて「期限までに間に合わなかった」という経験なら人生で読んだ本の数よりとうに多い。
多いけれども、「何分」「何日」「何回」遅くなったのかはいちいち考えたことがなかったような気がしたのだ。
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僕はこのとき、祖母のことをおもいだした。祖母は真面目で、誠実で、曲がったことが大嫌い。僕がまだ小学生ぐらいの頃の話。千葉の田舎の祖母の家に遊びに行ったとき。家のまえの横断歩道は車通りがひじょうに少ない。僕は、赤信号ではあったが「車が通らない」のでいきおいよく渡ろうとしたことがある。
普段から細かくて、口数も多い祖母だったが、そのときはまさに烈火の如く僕を叱った。
祖母「私はいつだって、誰のまえでも堂々としてる。毎日、誠実に正しく生きているから人から責められる理由がないし、自信をもって生きていける」
祖母のこの言葉は、20年経った今でも僕の胸に刻まれている。
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ところで、冒頭の「延滞をした人」。あくまで僕のなかの基準ではあるが、半世紀以上生きておられる方々は、大なり小なりご自分のミスや言動にものすごく厳しい傾向があるようにおもう。それにたいして、僕も含めて若い人は、「何日、遅れてしまったのか」というところまではかんがえないような気がしてならない。これを読んでいるみなさまはどうだろうか。
僕の若すぎる人生と、青くさい図書館員経験をもとにした、「ただのひとつの感想」であることには間違いがない。
だから、これに共感できない人は大勢いるだろうし、僕が例に出した若い人であっても、「延滞した」という事実だけはしっかりと受け止めているはずなので、次の利用からはしっかりと期限日までに返してくれるだろうと信じてはいる。
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