書く人は、いろいろな視点から世の中を見ている
もう10年ぐらい前から、小銭をビンに入れて貯金している。いわゆる「小銭貯金」というやつだ。
貯金というほど大したことはしていないし、貯金といえるほどの額でもない。学生のあるときから、財布に小銭をじゃらじゃらと入れておくのがうっとうしくなり、現金をつかったその日の夜、財布も心もスッキリとさせたい、そんな想いで始めたただの自己満足の習慣である。
そんな僕だが、久しぶりに電車に乗るための切符を買った。そもそもの話だが、電車に乗ること自体が最近はめっきり減ってしまった。かっこいいクロスバイクにゾッコンだということもあるのだけれど、「時間に縛られたくない」「いつも混んでいるからイヤ」などという理由で公共交通機関をつい避けてしまう。
とある雨の休日のこと。いつもならクロスバイクで行くところ、さすがに休日にレインコートを着るのもどうかと悩み、電車に乗ることにした。ICカードをつかえばいいのだけれど、前々から重いビンを持って銀行に行って振り込むのがめんどうになっていたということもあり、「少しずつでも有効につかおう」という想いでビンから手掴みで小銭をとって、そのままそれを切符に換えた。
感想としては、「なんでも電子決済ですませる令和の世の中において、小銭を小銭としてつかうことに意味があるし、なにより、臨時収入的な気がしてきもちがいいな」と思ったりもした。
というのも、
もともと小銭は、このビンに入れた時点で僕の資産からは外れていた。お札のときは大事につかうが、小銭となった瞬間、ぜんぶまとめて「ビンのなかのお金」と一括りにしてしまう。それに、これまでやってきたことを否定するようでちょっと癪なのだが、銀行口座に入れてしまえばそれはもう、ビンのなか以上に、数字としてのただのお金になってしまっていたからだ。
偉そうなことを書くようだが、
書く人は、ふつうの視点で生きていてはダメだと思った。小銭を数字としても扱うし、小銭のままで使うこともしなければならない。そして、ときには、これまでとはまったく別の視点から世の中を見ることで、あらたな発見をすることもある。
僕は、以前から、国内の旅行にハマっている。ただ歩いて観光をしたり、地のものを食べたりすることが楽しい。そんな当たり前ことに、この歳になって各地を訪れるたびに感じている。
しかし、最近、この本を読んだ。
勘違いだったというつもりはないのだが、その土地の人間がつくった歴史や文化は、現在の「都道府県」ではなく、古代から明治時代まで続いていた「旧国」の区分で見たほうがわかりやすいということを、この本を読んでつよく確信した。
まだまだ、歴史の勉強も旅行も楽しめそうである。
ちなみに、あとから聞いた話なのだが、
同居している僕の彼女は、近所の野菜直売所へよく行く。「現金しかつかわれへんから、たまにビンから拝借してる〜」と言っていた。だから、小銭が減っていたのか。
いつも美味しい料理をありがとう。
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