習慣になったサブスクを「辞める」を肯定的にする、いいわけ。
愚痴のようで稚拙な感じも否めない分、書くか迷いましたが…ここ1ヵ月くらいで感じている違和感は、すぐ自分の中で誤魔化せてしまうと思うから、文字に残すことにしました。
居酒屋で5分くらいの愚痴に付き合う感じでも大丈夫な方は、そのまま読み進めてくださればと思います。
(そっ閉じポイントはここですよ…!)
最近、続けていてもいいけれど、所属している価値を自分自身に見出せないことが増えました。自分が好きで始めた課金なんですけれどもねぇ。
コミュニティがつまんないワケでは決してないので語弊の無いようにもう一度書くと、
自分にとってはやんわりと居心地がよいと感じているけれど、ふとその中の自分を客観的にみると「あの人、居なくてもいいよね」と自分自身に感じている状況です。そういう感じですね。
物心ついた頃からこういう感覚に襲われることが多くて「飽きた」というより「夢から覚める」感覚に似ています。俯瞰してみたときに、僕はいなくてもよかったなと。
相手側からすると「そんなことない」と「知らんがな」が入り混じると思いますので、尋ねるのも難しいところです。前者なら辞める判断が鈍るし、後者なら傷つくので。
おじさんだって、傷つきますからね。
おじさんになってみてわかる、笑える。
そこにいることの居心地のよさと、その席は自分じゃなくていい感覚を天秤にかけたときに後者が勝っている感覚が強くなったことを、最近少しずつ辞めてきました。
それでも続けてきてよかったことがあって。
習慣になって何気なくやっているTwitch配信や、たまに撮るスクリーンショット、好きで始めたAIお絵描きに価値を見いだしてくださっている方々が「密かに応援してます」って声をかけて下さるきっかけがあり、それが何より嬉しかった。
代えのきく席に居続けた時間にも、そこに居たからこそ接点ができて。接点があることで目にとまって「なんかいいよね」ってどこか思ってもらえて。
「なんかいいよね」って思ってもらえる部分は振り返ると、結構僕の当たり前の中にあるのだなぁ、と。じゃあ当たり前にできることを増やす方がよくないかなと思いました。
当たり前にできることって、好きで勉強したりしてできるようになったことの頑張らなくてもできるようになった「基礎の部分」だったりするから。
話が逸れた。嬉しかったんですよ!許して。
サブスクで考えると他にもいろいろありまして…今回、大きなひとつを辞めるにあたり、他のそれらを「断捨離」するきっかけにしました。判断基準は自分がいる必要がないこと。
結果、少しハードルの高かったサブスクを始めることに。
結局サブスクってオチなんですが、ホントそういう人なんでしょうね…我ながら呆れる。
そういうわけで、映像を一から学べる場所に入ることに。何か学校に通ったり、現場で働いたりするわけではなくて、映像で活躍されている方々が体系的に残している知識を学ぶ方に時間を使おうと心境の変化がありました。
サブスク減らしてオンラインサロンで埋めにいってますやん…ホント何も学ばんマンです。
過ごし方は自分次第なので、変わらず何も得られないかもしれないけれど、これから1年を考えたときに映像を学ぶ一人として誰と働くときでも「役に立つおじさん」でありたいなと考えるに至りました。
昨夜から「企画」について基礎から学びはじめていますよ。まず一歩、です。
「結局サブスクを乗り換えただけじゃん」
という後ろ指にめげないように、これから1年なんらかの実績を残していきたいね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。きっと、この1,000文字ちょっとの覚え書きに時間を割いてくださる方々の気持ちに支えられて、また一歩進んでいけるのだなぁと本当にありがたく思います。
あたしゃ嬉しいよ。と、そういうことも増えました。
今日も一日、がんばりましょね☺︎
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