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Blak and Pink

「パレットFのドキドキパーティーハウス」のデザインと機能性、あれは私にとってマテル社バービーのハウスを超えていた。

タカラトミー社のリカちゃんの友人、「パレットF」が住む家を持っていた。
ニューヨーク育ち、長いオリーブブラウンの髪、黒い猫耳カチューシャの似合う小悪魔な印象の彼女の部屋は大人っぽくお洒落な空間で、
リカちゃんハウスといえばパステルカラー中心の色彩のものがほとんどだった当時、パレットFの家には差し色として珍しく黒が多用されていた。

黒が入ると定番のパステルピンクがぐっと締まる。
部屋内にはシステムキッチンにソファ、壁にはダーツ、歌唱ステージは変形させるとベッドになり、部屋全体を折り畳むと、黒地に細かい白ドット柄のかばんになり持ち運べる夢のある造り!

映画「バービー」は私自身の過去の記憶を引き出した。

親戚の叔父からボーイフレンド人形を貰ったのに、あまり嬉しくなかったこと。
女の子の人形には自分自身を投影させ遊ぶ。では男の子は?何の為に存在する?
彼の使いどころ、必要性を見出だせず放置したあげく結局、弟が遊ぶロボット等の相手にでもどうぞと役割を引き渡した。

あの時、男の子を必要だと思わなかった。

まるでその理由と裏付けを「映画バービー」に事細かく説明され全て表現されたような気がした。無意識に私は現実の男性に対しても心の底ではずっとこういった気持ちを抱いていたのかもしれない。

深層心理での『必要無い』『居ない方が秩序が保たれ平和』
これが私の現実に(深層部の望み通り)反映されてきたのだとしたら?
さまざまな実体験を得る度に、表層で認識する「必要」「居て欲しい」を簡単に打ち砕く程の観念を作ってしまっていたのだとしたら?
ーー考えかけて目眩がする。
思い当たる事は幾つもある。

必要無い、居ない方が良い、
これじゃまるで常日頃苦手としてきたフェミニストの短絡思考そのものだ。
決して先の人生をそちらへ振りたい訳ではない。それでも一旦はこの気持ちが存在した事を認め、観念から発展的概念へと再構築することにする。
心の深層の沈殿物に気が付けた事に意味と意義と、とてつもなく大きな価値があるのだから。

これは現実の男性だけでなく、私自身が持つ男性性の部分にも掛かってくる話だ。
肉体的性別に関わらず1個人の中に男性性/女性性が存在する。
男性性は能動/女性性は受動。

・男性性→力強さ、論理的思考、合理性、自己主張、冒険心
・女性性→受容、傾聴、直感、美、慈愛、順応力、適応力、育てる力

などの性質を指し、その両方を柔軟に使う事で個としての人生はより整う、という考え方だ。心理学用語でもあるが、よく陰陽五行や東洋医学に登場する陰陽マークにも例えられる。あのマークの白い部分を女性性、黒い部分を男性性と解釈する。

「黒を女性に着せてやりたい」を動機にしたココ・シャネルのデザインにより、女性がオールブラックの服を日常的に着る事がそれまでの価値観を塗り替えた歴史も全く無関係ではないかもしれない。

男性性に偏った現代社会全体のバランスを欠く部分にこそ女性性が必要なのだと話を展開することも出来るが今は私個人の人生にフォーカスする。

パレットFの家に使われた黒に前衛的なイメージを今でも抱けるのはそのせいだろうか。色のバランスが絶妙なのだ。いずれにせよあの家における黒は最強の差し色だ。

だから私の男性(性)への概念を再構築する上で必要なのは、多分陰陽マークではない。ブラックとピンク、80年代の前衛的なデザインの「ドキドキパーティーハウス」だ。
心象が現実に作用する場所にあの家を建てるイメージで行けばいい。
そこへ誰を入れどう過ごすか、本当に必要かそうではないかを決めるのはその後、また別の話でありそこから先の選択も自由だ。
まずは気持ちを解きほぐし遊びくつろげるスペースが欲しい。
システムキッチンにソファ、壁にはダーツ、歌唱ステージが変形するベッドを置く、最高じゃないか。

土台はある、そう難しい事ではないはすだ。

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