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【映画評】 4人の監督によるポルトガル映画オムニバス『ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区』

歴史をどのように語ればいいのか。語りのエクリチュールとはこのようになされるのだ。素直にそう思える映画に出くわしてしまった。歴史の語りって、こんなにもシンプルなのだ。

ポルトガル・オムニバス映画
『ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区』(2012)

第一話、アキ・カウリスマキ『バーテンダー』
第二話、ペドロ・コスタ『スウィート・エクソシスト』
第三話、ビクトール・エリセ『割れたガラス』
第四話、マノエル・デ・オリヴェイラ『征服者、征服さる』

国の起源をどこに設定するのか、それは容易いことではない。なぜなら、その起源の設定により、国家というものの近現代史の見え方が違ってくるからであり、そのことでわたしたちの歴史観念・国家観念を揺るがす事態にもなりかねないからである。
世界から見れば地の涯の島国に過ぎない日本……世界の涯というのも、欧州中心の世界の読み方なのだが……に置いても、その起源を巡る議論はいまだに収束してはいない。神話の世界に眼差しを向ける者もいれば、歴史という時間軸に目を向ける者もいる。が、そのことは、しばらく眼の外に置くことにしよう。

さて、世界の涯である日本はなく、現在ではヨーロッパの辺境と呼ばれるまでに衰退し、苦境に喘ぐポルトガル。この国の起源は、ポルトガルの歴史書によればギマランイスという都市、ポルトガルの歴史は旧都ギマランイスで始まったという。

映画『ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区』のwebには、ポルトガルの起源についてこう述べてある。

ヨーロッパの西、イベリア半島は8世紀初頭からイスラム教勢力の支配下にあったが、キリスト教勢力の国土回復運動〝レコンキスタ〟によってポルトゥカーレ伯領が置かれ、11世紀末にはブルゴーニュ出身のエンリケ・デ・ボルゴーニャの下で再編された。これがポルトガルの起源だ。エンリケの息子アフォンソ・エンリケスは、1139年、イベリア半島南部を支配するイスラム王朝、ムラービト朝にオーリッケの戦いで大勝し独立を宣言。翌年、自らポルトガル王を名乗り、1143年に宗主国の承認を得て、ポルトガル王国を打ち立てる。ギマランイスが〝ポルトガル発祥の地〟と称されるのは、初代国王アフォンソ一世の生地であり、ポルトガル最初の首都だからだ。ギマランイスはポルトガル北西部に位置する小さな街だ。その中心地区である旧市街地〝ギマランイス歴史地区〟がユネスコの世界文化遺産に登録されたのは2001年のこと。中心にあるトゥラル広場には、街の来歴を示す《AQUI NASCEU PORTUGAL(ここにポルトガル誕生す)》の文字が刻まれている。

映画『ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区』

では、ポルトガルの、この起源を前提に歴史を語るとするならば、ここには征服〝する/される〟という切断面が露出しており、物語としての映画には、ポルトガルの近代化と〝レコンキスタ〟のネガ・バージョンとしての植民地支配を溶け込まさざるを得ないという必然性を《物語=歴史》のエクリチュールとして纏うことになる。そして、ポルトガルを語るということは、「旧都ギマランイスの街の物語」に、《近代化と植民地支配》を接ぎ木するということでもある。

本作のプロデューサーの呼びかけに、4人の監督が集まった。
フィンランド出身ながら、ポルトガルに20年間在住するアキ・カウリウマキ。隣国スペインからビクトル・エリセ。ポルトガル本国からは、ペドロ・コスタと、1908年生まれという近現代史の体現者マノエル・デ・オリヴェイラ。スタイルも語りも異なる4人が織りなすオムニバスが、ポルトガルの近現代を立体的に立ち現せている。

アキ・カウリウマキ『バーテンダー』

(TSUTAYAより)

何かを語ろうとするのは愚かなことだ。語ろうとするのではなく、語ろうとすることの無意識が豊かなディスクールを生み出す。アキ・カウリスマキはそのことに意識的である監督である。街のバーテンダーである孤独な中年男の一日を、セリフも説明的なショットもなく淡々と描き、物語で《あること/ないこと》のぎりぎりのところで物語が立ち上がっている。一見、なにも起こらなかったかのように見える日常も歴史なのである。

ペドロ・コスタ『スウィート・エクソシスト』

(TSUTAYAより)

ポルトガルの植民地カーボヴェルデからやって来た移民労働者であるヴェントゥーラ。彼はポルトガル人である青年将校たちとクーデターに参加した。クーデターとは1974年の「カーネーション革命」。彼は深い森の中で意識を失い、気づくと精神病院に収容されていた。ある日、彼は院内のエレベーターで銅像のように身動きひとつしない兵士に出会う。兵士とは亡霊なのだが、ヴェントゥーラはその亡霊と語り合う。「カーネーション革命」は美化して語られているけれど、本当にそんなにも美しかったのか、物語はまだ終っていないのではないかと。撮影場所は、ポルトガルの歴史発祥の地であるギマラインスではない。ペドロ・コスタは、ギマランイスで撮影をしないことでポルトガルの光と影を描こうとした。いわば、逆照射で浮かび上がる歴史の記述であり、まさしく、エクソ(=外部)シスト、亡霊映画である。

ビクトル・エリセ『割れたガラス』

(TSUTAYAより)

ポルトガルには巨大な紡績繊維工場があった。それは1845年創業のリオ・ヴィゼラ紡績繊維工場。20世紀初頭には欧州第二の繊維工場へと発展するが、1990年、経営危機に陥り、2002年に閉鎖されたという。リオ・ヴィゼラ紡績繊維工場は、栄光のポルトガルと衰退のポルトガルを体現した近代産業遺産である。
現在は荒れ果て、〝割れたガラス工場〟と呼ばれているが、タイトル『割れたガラス』はこのことに由来しているのだろう。
舞台は工場の食堂だった場所。画面中央に椅子が一脚置かれ、かつての労働者たちが一人ずつ椅子に腰掛け、自分史を語る。カメラは初め全身のショットで、次にバストショットで、という簡潔な繋ぎ。言葉少なく語る者もいれば、語り進めるうちに次第に雄弁になる者もいる。言葉の一つひとつが、彼らの歴史のひとコマひとコマを物語る。ここでも、ポルトガル近現代の光と影が浮き彫りになる。監督によれば、ポルトガルで映画を撮るための、カメラテストとして撮ったということである。

マノエル・デ・オリヴェイラ『征服者、征服さる』

(TSUTAYAより)

前三作品は市井の物語だったのだが、最後の一作である本作品は、初代国王アフォンソ一世を巡る物語である。とはいっても、マノエル・デ・オリヴェイラ監督。国王の固有名で歴史を語ることはない。
フレームには権威と抑圧の象徴ともいうべき城壁が移動撮影で捉えられ、そこに、アフォンソ一世の歴史のナレーションが英語で重ねられる。前三作との語りの違いに驚きを覚えるのだが、英語の発音にはどこか訛があり、ポルトガル訛りの英語であることに気づく。次に、バスの窓越しに城壁を見つめる女性の、フィクショナルめいた顔が捉えられる。このとき、この映画がアフォンソ一世のドキュメントではなく、歴史への眼差しを巡る物語であることを理解する。ナレーションはポルトガル人ガイドの英語観光案内であり、城壁に注がれているのは、観光バスに乗る観光客の眼差しだったのだ。冒頭の城壁のショットとナレーションは、マノエル・デ・オリヴェイラ特有のトリックだったのだ。
ここで映し出されるのは大型観光バスと、そこから吐き出されるように降りてくる夥しい観光客。観光客は歴史のことなどほとんど気にもとめない。アフォンソ一世像にカメラを向け、一斉にシャッターを切るのみである。歴史とは解釈する存在なのではなく、記念写真という眼差しでスクラップする存在としてある。ガイドはわたしたち映画を見る者にこう言う。「撮影をやめない観光客に征服者は征服されました」と。『征服者、征服さる』とは、こういうことだったのか。
そして唐突にも、グレン・グールド演奏によるバッハで映画は終る。

これら四本の小品は、何かを語ろうとはしなかった。歴史とはこんなにも簡潔なのだと、ただそのことだけを、わたしたちに示そうとしたのかもしれない。
「こんなにも簡潔な語りは、これまでにあっただろうか」。ヴェルナー・ヘルツォークでなくても、この映画を見た者はそう言うかもしれない。
語らないことで映画は唐突にも始まり、グレン・グールドの演奏で唐突にも映画は終る。
この映画は、「語ることの過剰でも不足でもなく、ただ完璧な語りがあった」。わたしは映画が終わった途端、そう呟いた。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)

『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』予告編

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