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【美術評】 原田裕規『Waiting for』についてのレポート@金沢21世紀美術館

写真=金沢21世紀美術館

以下の文は金沢21世紀美術館|アルベルト14で開催されている原田裕規『Waiting for』の映像作品についてのレポートです。
会期:2021.6.15〜2021.10.10


(レポート1)

荒涼とした風景がゆるやかなカメラ移動で映し出される。湖や草木もまばらな彩度を落とした地上の風景。水や草木といった有機物は存在するものの、人間はおろか動物でさえ生きてゆけるのだろうか不明な大地。大気の移動を感じさせる風の音はあっただろうか。思い出そうとしても思い出せない。

オフの声で動物の名が読まれる。わたしの知らない動物の名。その動物は実在の動物なのか、それとも架空の動物、もしくは絶滅した動物の名なのかもわたしの知識では不明である。わたしはいつ終わるとも分からない映像とオフの声の前で、捉えどころのない思考を浮遊させるしかなかった。

解説を読むまで、オープンワールドゲームの製作に用いられるCGI(Computer-generated imagery)の技術により完全に人工的に作られた映像だとは気づかなかった。不思議な風景だとは思ったのだが、荒野をドローンで撮影し、後にデジタルで彩度を落とす色調調整をしたとしか思えないほどリアリティーのある映像であった。ただ、岩山であろうと沼地であろうと色調がこの世のものではない、いわば物質性を欠いた風景ではあった。CGIだからこその風景ともいえるのだが、CGI風景と実景としての風景を識別することは、もうわたしたちにはできないに違いないとも思う。風景に限らず、政治を含め社会の思考そのものがVR化している現実がある。

上映時間が33時間19分26秒もある、常軌を逸したとしか思えない超長時間の作品。わたしが見たのは20〜30分(二種の風景シーン)程度に過ぎない。

映像を背景に動物の名が延々と朗読されるのだが、それが実在する、あるいはかつて存在した動物なのかも不明でミステリアル。仮に朗読される動物がこれから出現するかも知れない動物だとしたら、それを思う「現在」という時間はなんて素晴らしいのだろうかとも思う。
「現在」とは映像に描かれた動物がいない100万年「前/後」の狭間の空白の時間。「前/後」に「現在」という時間が存在するということも素晴らしい。いわば「前/後」の空白の時間としての「現在」。100万年「前/後」に不意に現れた「現在」という空白の時間。そこで「Waiting for」というわたしたちの行為。
わたしたちは何かを「待ちつづけている」。欧米人ならベケット『ゴドーを待ちながら』のように不在の神を待ちつづけるのかも知れないけれど、日本人であるわたしは何を待ち、何を思い描けばいいのだろうか。死という100万年「後」にもつながる「永遠」を待つということ。悲しいことに、このことは確かだ。それ以外に何があるだろうか。


(レポート2)

観賞後に作家のノートを読んだのだが、興味深いことが書いてあった。朗読される動物名だが、「地球上に存在するすべての動物」ということだ。いくつもの資料を集め、学会や研究機関にも確認を仰ぎ、膨大な動物の和英俗名のリスト化から始めたという。

ということは、朗読される動物名は現在生きている、もしくは絶命したかもしれない動物ということになる。これから出現するかもしれない架空の動物ではなさそうだ。

動物名を調べ完成させると2万種類以上あったという。その俗名リストの朗読には少なくとも30時間以上を必要とすることが判明。本作が33時間19分26秒の作品なのは、すべての動物名を朗読するために必要な時間だったのである。
さて、動物名の朗読なのだが、当初は切れ目ない朗読を試みたという。だが、疲労、眠気、読み間違いといった、あまりにも多すぎる情報の負荷による精神的、身体的要因で幾度も失敗し、最終的には、20時間と10時間の2回に分けて収録したという。それほど大変ならば原稿を読むプロに任せればいいのにとわたしなどは考えてしまうのだが、作家が試みたのは機械的に動物名を読み上げるということではなく、声による〈精神性/身体性〉の現象学である。精神の持続という意味では〈時間性/身体性〉でもある。

読む行為による精神や身体への負荷は人間の持つ有限性の現れであり、読み手だけでなく、作品を鑑賞する者にとっても33時間19分26秒という時間は強度の苦痛を伴うとしてもある種の快楽を感じることでもある。これは、時間の狭間としての現在から100万年「前/後」を思うことの苦痛と快楽でもあるように思えた。
わずか20〜30分程度を鑑賞したにすぎない為体のわたしだったのだが、100万年「前/後」の狭間を少しは感じとることができたと思う。

美術館のインスタレーションでなく、映画館で椅子に深く身体を沈め映像に身を委ねての鑑賞だったらどのような印象を受けるのか、気になるところである。
33時間19分26秒は100万年「前/後」の時間に等価なのかもしれない。

(日曜映画批評 : 衣川正和🌱kinugawa)

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